おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

親には言えない

新聞配達が三年目に入って自転車
S君という中学時代の同級生が、販売員に加わった。


S君の近所には
かつて、
朝に夕に我が家に出入りしていた
K郎の自宅があった。

息子を、バイク窃盗の主犯にすべく画策した、あのこだ。
橋に呼び出して
もとサッカー部を集合させ、
警察に行って、でっち上げのストーリーを話さなければ
この町内で、誰もお前と遊ばなくなるぞ・・・と
せこい脅迫をした・・・あのK郎は

最近では、ラウンジだかキャバクラだかに入り浸っていて
同級生に、お金を借りまくっている・・と
息子はS君を通じて、聞いていた。

息子は、S君から電話で「お金を貸して欲しい。」と言われた時
そばでK郎が、言わせているような気配に気がつき
「ダメ・無理・無い」の一点張りで断ったことがある。

朝、S君が謝ってきて
『給料日を知られてしまって、うちに入り浸って困る。そばで電話掛けろと言われて断れなかった。』
といったらしい。・・・・これをタカリという。
K郎の部屋から、S君の部屋の明かりが見えるので、
電気をつけるとやって来るらしいのだ。

そんな借金依頼の電話が、S君から2回あり
息子は
茶番劇を演じているS君の、断れない弱さに、同情していた。(が、貸さない)

息子は、あの事件以来←ポチッ
一歩も町内を歩かない。
同級生からの電話には、出ないし、返信もしない。

自動車学校にも
同級生が行きそうな時期は極力避けて(田舎だから、殺到する夏休み里帰り時期)
入学が決まってからも
誰にもあわないことを、心底願いながら、出かけていった。
口には出さないけれど
母は、その恐れる気持ちに気がついていた。

そのK郎が、S君に「2万円、貸して。」とせがみ
S君は、息子にどうしようか怖いと相談してくる日が続いた。
息子む~っが「親に言え。」というと
親にだけは知られたくない、というらしい。(長男)

「うちの親は、すぐ警察にいくよ、たぶん。」と息子が言うと
おまえんちが羨ましい・・と言ったという。
腰抜けのいくじなしだと思われようと
親を盾にしても、逃げるのが賢い。
そんなことで親は、子供にがっかりはしないもんだ。

K郎が高校生の頃、無免許で、バイク購入し、我が家の駐車場
を隠し場所にしようとし、母は息子と喧嘩をした。
(そのバイクの改造のために、あちこちの人様のバイクに悪さをしていたのだが)

もしも、事故って誰かを障害者にしてしまったら一生の重荷をしょってしまう。
命が失われたら、母は、「知っていた者」として
Kの両親、被害者の両親、にどう説明するのか・・・と。
うちにバイクを置く以上、母が、乗ってる事実を目撃したら
「警察」「親」「学校」のいずれかに通報する、断れない息子に代わって
親の言葉を、息子に言わせた。


親にだけは知られたくない・・とは
どういうことなんだろう。
自分の弱さを、親に知られるのは、
親を悲しませる、がっかりさせると思うのだろうか。

「K郎にはね。正しく導いてくれるはずの親が、おらんちゃわ。」(PTA役員)
「だから、親に相談したり、頼ることがありえないんだろうね。」
「あの連中は、そういうこと、バカにするっちゃろ?」


親に相談することを
意気地なし・だめな奴・情けない奴・・・という基準で計りだされて
どうにも動かないのか。
彼らのくだらない〇ンピラ思想に振り回されて
どこまで行くつもりだろうか。



一人のお母さんに、スーパーで会って、それとなく、
「用心しないととばっちりを食うわよ・・」と言ってはみたが

「みんな・・いい子よ~いつも休みにはうちに顔を出すし・・・大丈夫よ。」
そう・・
彼らは、はっきり言っていまどきのイケメンであり
しっかり「ご挨拶しなさい。」といって育てられた体育会系の子なんだ。

就職先が決まって、働き出した子供たちに安心し、
息子がすっかり、付き合いをしなくなってることにむしろ、心配を返してくる。

同窓会・・・と称してボーリングへ行き
最下位の子に、ラウンジの払いを全額もたせ・・・
10万以上も払わされたその子は・・・・親に言わない。

「息子さんが、遊びに10万円使わされたのよ」・・・・と・・・
母はその方に、言えなかった。
それは、本人が親に言わない限り、本人の自由なお金なのだ、と
自分に言い聞かせた。

昨今の事件・・・

子供が大きな犯罪を犯したとき
親は尻拭いさえも出来なくなるほど・・・無力であると気がついて
子供が、いつから
親に話さなくなったのか・・・さえ
思い出せないほど年を取るんだろうか。

  1. 2009/11/10(火) 16:27:48|
  2. 「学校すかん」長男|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:8

少数派の自覚

3年前、通信で高校資格をとるという道を選んだけれど
その息子の決定の裏には

「とにかく高校は卒業していて欲しい。」という母の切なる願いと
ほかに何をしていいのか分からない、方向を見失っていた16歳の
流れに任せた、という成り行きがあったと思う。

全日制の高校の新しい環境の波に一ヶ月・・・
独りで乗り越えることが出来なかったのだろう。

この春、同級生が、全日制高校を卒業して
進学したり、就職したりする姿をみて焦っている様子もなく
(実はそんなことを感じるほど,密に同級生と過ごしてはいない・・のだと思うが)
うちの中でも
まわりの変化の影響はほとんど無かった。

母のPCメールには
息子の高校から、レポート提出状況や、出席状況が定期的に送られてくる。
ずいぶんこのブログでも書いてきたが

最初は、日曜日のスクーリング計画、受講する教室、レポートの締め切りまで
母は密かにチェックしており、
母の寝過ごしや、母のうっかりで、落とすことが無いように神経を使った。
しかもせきたてたり追い立てたりしないように・・・・
出来るだけ自分で達成させるように・・・だったなぁ。

起きてこない朝もあり。
二日酔いで(!!)ふてくされて行かなかった朝もあり。
泣いたり笑ったりの、スタートだった。

休んだ授業を、どの教室で受けなおすか、
たった一時間の授業のために、県北高千穂高校まで出かけていったこともあった。

あの頃はまだまだ、息子は「親のため」に身体を運んでいて
学問の意味も、学歴の意味も、どうでもいいとでも思っていたらしい。

ただ、ドラムと音楽と、バンドと仲間が、息子だけの世界だった。
そして、眠ること。
息子が精神的に疲れていることも察した。

4月になってから(通信3年目になったわけだが)
好みの単位科目ではなく、残された科目を取っていかなければならない。
そろそろ正念場だ。
高校を卒業する気があるのか、ないのか。

母は、2年目からは
時間割の計画にも、スクーリング予定にもタッチすることは無い。
よく分からないし、もう限界~。
学校のリズムさえつかめれば、もう母のすることはない。
通信過程のリズムは、母だって初めての経験だった。

会社でメールを開けるたびに
息子がきちんきちんと、レポートを提出している様子がわかる。
初めの頃、締め切りの朝には、
新聞配達にでる母に、徹夜出来立てのレポートを渡していた息子だったが
ようやく計画的に
自分で仕上げて、自分で投函するようにまで成長した。
返送されてくるレポートは、
本気に取り組んでいる様子も分かるし
100点の採点は得意げに、いつまでもリビングに置きっぱなしにしている。


同級生が、親元を離れて職についていること、想像しながら
台所にたつ母の傍らで
「みんな・・・すげーーよねぇ。よう頑張るよねぇ~。18歳でよぉ~独り暮らしじゃっとよ?!」

オレは?いいのか?このままで?親は、どう思ってるのか?
いろんなこと、きっと考えてるんだろうな。

「ホントねぇ。まぁお母さんたちは、それをやってきたけどねぇ。大学とか、会社とかいう組織に属してることが安心させてくれるんだよね、きっと。」

「あんたはねぇ・・新しい世界に踏み込むのに、すごいエネルギーがいるし、習慣に無いことをするのに、抵抗が激しいやろ?」

「そうやとよ。」

中学校で部活動をさせたこと(してしまったこと)
みんなと同じ行動だったけれど、大きな試験紙だった。
息子の強い個性を、まだ母さえも気づかなかった。

納得してないことや、自分の頭で理解できないことには、動かない、ということ。
好きなことには、とことんまで集中し続けること。
自分だけの世界への強いこだわり。

息子は、少数派と告げられたことの意味を
もう分かり始めているのかもしれない。


慣れ親しんだ場所、規則性のある生活(それが昼夜逆転でも)
決まりきった人間関係のなかに暮らすことが、息子の平安なのだろう。
未知の世界への恐れとパニック

20070217224523.jpg

自分で自分が分かってきたら
もう、少しだけ成長していくのだろう。

それでいい、息子のペースで。


  1. 2009/06/25(木) 14:17:41|
  2. 「学校すかん」長男|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:2

ひさびさの篭り

息子は、始業式に参加すれば

LHR(ロングホームルーム)の出席時間をもらえたんだった。

教科をとっても、LHRだけ足りなくて、卒業できない例が結構あるって聞いている。

なのに、

大事な日に

二日酔い。

二日酔いで起きてこなかったので、母は、ひっさーーーしぶりに

頭のなかでブチきれる音がした。

母さんだって、深夜2時に繁華街まで迎えに行って

そのために(待機)コタツで仮眠して、まともには寝てない。

あんたを1時間半かけた学校まで送り届けようと、7時半には出発。

そのつもりで、6時半から準備したのに・・・・


はぁ?

しぶしぶ起きたかと思ったら・・・・シャワーかい?

出てこないと思ったら・・・どーもバスルームで寝てる気配。

ゆっくりと、のんびりと・・・・わざと。。。やね。

「どーーせ、間に合わんし・・。」

「なんや!!それ。」
「誰のために協力してると?お母さんのために高校行こうと思ってるんなら、もういいが。
来年の授業料は、保留しとくわ。」
「いっとくけど、高校行かんなら、その先のことまで考えないね。音楽も協力はできんから・・・自力でやんなさい。」
「はいーーーどーーーぞ。好きなだけ寝てればいいわ。」

息子は、床にペッと

唾を吐いた。

私は、そのまま予定通り、息子の学校に向かう。息子をおいたまま。

頭を冷やそう。

何を期待したんだ。

まだ、路線の上を走らせたいのか。




それから、3日間。
息子はこれまた久しぶりの部屋篭り。
新聞配達にはきっちり行っていたようだ。

母は、夕食だろうと何だろうと無視してみたが
父母が、弟が、それぞれ部屋に戻る・・・・丑三つ時に

ひそかに・・・・そーーーっと・・・・台所に降り
残り物(・・・があるのが親心)を食べて

なんと食器を洗い
流しの痕跡を消し

そーーーっと・・・・自室にもどる。

こりゃあ、なんのメッセージかいな。

「ご迷惑はおかけしません」

「オレはなんも食べてないから・・・心配せぇよ」

笑っちゃうな。この幼子よ。

4日目。

そろそろ困ってるはず。

ドラムのレッスンは一人じゃ行けず。

振り上げたこぶしは、自分で下ろせないんだなぁ・・・・未熟者ほど。


息子の部屋を、4日ぶりにノックした。

返事なし。

再びノックして、あけようとすると内鍵をしてある。(不登校時代に自作のヒッカケタイプ)

なんや。

母が、この戸の向こう側に来てノックしてくるのが想定されてたわけね。

それで、鍵なんかして

「おれは、怒ってるのだ!!」って準備万端だったんだ・・・

なのに

待てど暮らせど母は来ず・・・(笑)

アマテラスオオミカミのミコトは、洞窟からでてこれなかったんすよ。
(いやウズメノミコトだったっけ?)
タイミングが・・・わかんなくなっちゃうんだよねぇ・・ながびくと。

「もういいがぁ・・・。あんたが腹かいちょるのは判ったがぁ・・・ご飯てべに降りてきない・・」

「んんん。」←ご自由に解釈・・yesともnoともとれる。
眠い・・・ふり。



その後。

経験ある方のご想像のとおりです。

息子は

再び階段を、ドンドンドンと降りてきては

「母さ~ん。今日バンメシ・・な~ん?」という毎日に戻っている。

ライオンキングのような髪をして。


「夜中の皿洗いのメッセージはわからんかった・・・」というと

「なんも深い意味はない・・・」と言う。

そーーーか、な?

授業料の締め切りには間に合ったよ。
あと少しなんだから、がんばんなさい。

やっと、素直に

うなずいたな。





  1. 2009/03/23(月) 21:47:50|
  2. 「学校すかん」長男|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:3

息子を動かす他人

携帯代をコンビニに支払いに行くことさえしない

できない息子が

いや、できるのだろうけれど猛烈にいやがる息子は

親が教えようとして世の中の常識らしき考えを話すと

もう、どうでもいいようにおちゃらける。


そのくせ

最近できた年上の彼女のアパートへいくために

母の出社時間に合わせて車に便乗し

途中で降ろしてくれと言う。

そんな労力の要るスケジュールをこなしている。

新聞配達→シャワー→朝飯ガッツリ→母と町へ→途中で下車して徒歩→夜中に帰宅(交通手段は不明)→新聞配達・・・・(どこかで寝ていることになるわけだ)


近所の奥さんが

「このごろドラムが聞こえてこないね、って言ってたよ。」と言うと

「たたいてねえし・・・」

・・・・・・・・はぁ、そう。


「母さん、キラさんが(バンドメンバーで24歳)T字髭剃りつかってみぃーっていうから
買っといて」

そんな提案は、母以外のところから仕入れてきて取り込む。

mail「母さん、定額給付金って俺の分・・・ある?」

mail「母さん、T字髭剃り、自分で買ったからもういいよーー。」

最近はよそ様に社会勉強させてもらっている様子。

どこぞのスーパーできっと
誰かといってレジにならんだかぁ・・・・・

母とだったら車からさえ降りやしないあまちゃんだが
できるってことやんか。

懐に戻ってきたり

こんな風に外の風に当たったり、と

周期的に繰り返しながら

息子たちは親離れしていくのだろう。(それが願いでもあるのに)

とは、いうものの

「事件」を起こして戻ってくるのがいつものパターンなだけに

母の妄想は膨らむ。(そう、願いでもあるのに何もしでかさないでいるという信用がないのだ)

そうだよね・・・もう同級生は社会人もいる。

息子をとりまく世界は、ピノキオみたいな息子を

どこへ連れて行くのだろうか。

信用できない母は、信用できない自分を責める。

ゼペット爺さんは

人間になったピノキオをみるまでは

こんな気持ちだったのかなぁ。


  1. 2009/03/10(火) 23:13:36|
  2. 「学校すかん」長男|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:4

この個の将来

日曜日に友人のライブを見に行くというので
送っていく途中に

息子の同級生の家族に出会った。

交差点の角にあるお宅で、信号待ちのうちの車に気づいて
同級生がニコニコ笑って、お母さんと一緒に近づいてきた。

「おう。(息子の名前)!!」

息子は笑ってはいるが、内心戸惑っているだろうということはわかった。

そうだ。

今日は、息子の同級生は卒業式だ。


小学6年生まで頻繁に遊んでいた子で
夕方5時になると大急ぎで我が家に駆けて帰るうちの息子を
お母さんは「時間厳守でたいしたもんだ。」といっていたっけな。

走り出した車の中で
彼が就職して県外へ行くことをしみじみ考えたようで

「おれも、いつか就職するっちゃねーー。」

「みんな、えれぇーよなぁ。」

無言で居る母をちょっと気にしてか

「おれも早く職について、・・・・つかんといかんちゃけん、・・・」と言う。

「焦らんでも、いつかはするが。」と言いながら
じつは社会に出るのを恐れているのが良く分かる。

あんな経験したから、とはもう母は思っていない。

大人(先生)が怖い、嫌い、憎い、・・・・これも違っていたかもしれない。

あのころ、直感的に気が付いたことがある。
それはきっと現実だと、早く受け入れてしまえば、あんなに泣き暮らすこともなかったかもしれない。

不登校の息子は
家族の中で、当り散らすこともなく
暴力的でもなく
傷ついて震えている小鳥のようだった。

ただ学校へ行って帰ってくると、ギラギラした戦いモードの顔つきになっていて、何日か寝て暮らした。

「疲れた。」

学校に半日しかいかなくても、そういった。

髪を染めて、
ピアスをあけて、
シャツ出しでいたのは、

友人たちの中のポジションを獲得するためで

煙草を吸うのも、
似合いもしないだぼだぼのシャツと
3人は入るだろうGパンを着ていたのも

そうでなければ受け入れてもらえないという
同級生の圧力だったのだ。

もちろん、人が強制したのではない。自分が恐れていた、人と違うと言うことを。

台所で、背中を丸めて食事をする姿

低音で笑う声が

私の兄にそっくりだと、ふと、思った。
そのときの直感。
(兄は知的障害をもつ)

否定したけれど、まさか、と打ち消したけれど
妹にだけはそっと話したことがあった。

その後、
睡眠障害で苦しむ息子とストレスケアで病院へ行った。
本人も一緒に「思春期外来」で医師と話したとき
医師は息子と私に

「少数派」です。

と言った。
意味するところはなんとなく分かった。

障害、ではないのだろうが“特別の個性”があるということだろうと。

「アスペルガー症候群」(医師が出した言葉ではない)

妹の末っ子が自閉症だと知ったとき
ネットや書店でいろんな本を読んで知ったこの言葉をを、

じつは、心のどこかでしっかりと記憶していた。

息子に思い当たることはおおく、
私自身の身にもあった。

学習障害がないために、気にもしなかったが
教科の好き嫌いの差が極端にあるので、息子と私は良く似ていると思っていた。

興味のあるなしで極端。集中力とのめりこみ度数の違いだ。

それは誰でもそうだ、といえばそうなのだが。

(私のことはさておき)

車の中で息子に言った。

「どんな仕事についても、あんたは慣れるまでに時間が普通以上にかかるだろうね。」

「うん。おれもそう思う。」

「新聞配達はお母さんから引き継いで、販売店の人たちも、お母さんが先に知ってたから・・・。」

息子の分析を知った風に、説明しても
今の息子は割と素直に、受け入れているように思える。

あれからいろいろ自分について考えて、知って、大人になったんだろうな。

アスペルガーの本を買って、読んでみると
こんなこと誰でもあるよ・・と思いながら
こんなこと私もあるよ・・・に変わっていく。

私は50歳にして、己を知ったとしても、特に変化はなく
むしろ、自分の個性を今後どう扱うか楽しんだり、
コントロールしたりできるだろうが


息子には、どう理解させるか。

強いこだわり

人から見た自分を、うまく感知できない

出来ないから、空回りを感じてストレスでくたくたになると言うこと

純粋で、だまされやすいこと
感受性が強くて、臆病なところ

少数派だといわれて
息子はむしろ喜んでいたし、母も同じ気持ちで、前向きに捕らえようとした。

前向きに医師が話してくれたから

前向きのまま受け止めたのだが

・・・・・そんなところがまた、単純ともいえるのかもしれない。

「好きなことを見つけて、一生懸命それをやりなさい。
エジソンもアインシュタインも君と同じタイプだ。

昼間、学校行かなくても、なんも悪いことしてるわけじゃない。
堂々としていなさい。
むしろ、いままで、よく学校に行けましたね。きつかったろう。」

最近になって、
母は、成長した息子と将来について
一人でよくシュミレーションしたりする。

ドラムと出会い、

熱中していく過程ではもう達成感のようなものがあるのではないか。

プロドラマーの道が遠く、険しいとなんとなく気づいて
音楽仲間の行く道が分かれ始めた今

「おれも就職するのか。」

社会の風に吹かれると言う当たり前のことなのだけれど
なんかおどおどした息子の
幼いころのしぐさが、思い出される。

「まだ、時間はあるから。とりあえず、高校を卒業してから考えれば?」

「そうやね。」

通信課定の担任が電話してきて、

次年度の選択教科の個人別の指導をしてくださったようだ。

「仮に2単位落としても大丈夫なように組んでくれた。」と息子は言うが
なんとも、いたれりつくせりの学校であなた任せでいる息子は

どうしても優先順位は、自分のライブだの、ドラムのレッスンであるらしい。

きっと
はたから見れば、うちも変わった家庭っていうことで

甘やかし、とか
世間知らず、とか
変人奇人(笑)なのだろうけど

けっこう幸せな人生を私が歩いてきてるのは
いい周りの人たちに恵まれたからだろうと思う。

「18歳で、さて、これまで胸に抱いていた将来に向かって漕ぎ出しなさい。」
といわれて
夢がないのにどこに行くの

母は、そう思って大学にいき(絵が好きだったので)
20歳で社会に出たくなくて、眠れなかった夜があった。

そんな頃のこと、
しっかりと覚えておこう、と思った。

すべては個性なのだけれど
それは特別な個性であり

社会に貢献できる大人に成長することだけが、人間の生きる理由じゃない。
人に疲れ、人に振り回されずに
人を愛せる距離を見つけれれば、そこが最善の場所になるんだろうな。


  1. 2009/03/04(水) 00:34:38|
  2. 「学校すかん」長男|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:4
←前のページ | ホーム | 次のページ→
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。