おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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子供の数だけ「お産」がある・・長女編

多胎でない限り、子供の数だけ「お産」がある。
始まりから、産声まで
振り返ってみれば、その後の生き方を暗示している。

長女の時、26歳。
新婚時代からの、しっかりした計画出産だった。
主婦向けのマニュアル本を数冊抱えて、日記もつけた。
胎教の為にと音楽も、編み物も、散歩も、話しかけも、やった。
何ヶ月目に入り今、どんな状態か、医師の指示から、ちょっとした変化からすべて管理した。
おしるしが予定日の4日後の夕食時にあり、コンスタントに痛みが増していった。

3月30日・・今からだと31日生まれ。4月2日までなんとかならないかと余裕の心配をしたが、なにせマニュアルの通りに進んでくれた。

ひーひー・・ふーぅ、うん。
ひーひー・・ふーぅ、うん。

忘れもしないこの呼吸。

お腹や腰をさすろうとするうっとうしい一切の手を払いのけて、ベッドのパイプを握り締めた。子宮口が開くまでの苦しみは、この子だけで済んだ事は、神様に感謝している。

産まれたときは、E.Tかと思った。




産後の女性は一番綺麗だと、誰がいったか知らないが
正直、私は違う。
なぜか。
顔や首には、毛細血管が切れて「血の花」が咲いていた。
むくんで、血の斑点。がっかりした。むやみに力んだ結果だ。
でも、マニュアル信仰のせいか、変に冷静でもあった。


初日は母体を休ませるという病院で、なんの呼び出しもない事に甘えて新生児室には行かなかった。今思うと、まだ母性に目覚めていなかったと思う。
2日後、自分の娘を目の前において、どうしていいか分からずにベテランのお母さん達をみようみまねでオムツを替える。

私って、自分の心配だけしてたお産だったんだ、とその時気がついて愕然とした。

おっぱいの手入れも必要ないと思い、しなかった。
普通、人並み・・根拠もなく、心配もせずにいた。
ところが、扁平だったんで、娘は口にあてがわれた“それ”に対して吸い付こうともせず、「これ、なに?」と言わんばかりのクルクル目。

以来、粉ミルクと混合となる。

お見舞い客が置いていった出始めのトマトの、ギュウンと飛び出した乳首の形が憎らしかった。

娘はそんな準備不足の母親のもと、慎重で堅実な優しい父親のDNAのお陰もあり、順調に成人した。
母の体重は、プラス22kg。婦長さんには度々、しこたま注意された。
「こんなに太れるなんて幸せですね。」
お陰で産後、1年で重さだけは・・・元に戻した。

その後、小学校2年生までは、一人娘と夫と私。
流産も2度経験して、元気な子であれば・・と願いつつ
2人目の出産に臨む。
  1. 2006/10/12(木) 11:55:23|
  2. 痩せる;考|
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