おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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息子の客

息子が学校に行かなくなってから、息子の客が来るようになった。

はじめの一ヶ月(中2・10~11月)の来客は、一緒に“ボーズ頭”にされたテニスのパートナーだった。彼は父と妹と住んでおり、父方の祖母の家とを行ったり来たりしていた。同じ町内にある母のアパートへは出入りを禁止され、会うことを許されない母が遠出の試合を見にくるので、部活動は彼にとって切ない願いの叶う時間だったと思う。

彼は、部活が終わると毎日、やってきた。自宅と反対方向である。
息子が中体連を直前ですっぽかしたのだから、彼はペア変更を余儀なくされて大変迷惑をこうむったはずだ。
そんな申し訳なさもあり、母としては夕食の時間でもあったので、当時は部屋にこもっていた息子の分と一緒に、部屋に食事を運んであげたりもした。

貸した私服(息子は一番良いと思う物を貸すようで)を返さず祭りに着てきたとか、部室におきざりの息子のユニフォームを、自由に着てるとかいう情報が携帯メールで入る。休みの日の部活帰りには、うちが皆留守でも、息子の部屋で待っていたり、息子が眉を剃ると、真似て剃る。ピアスを通販で買おうとすると、一緒に買う。

毎夜部屋に来るので、一人になる時間が失われていった息子がイライラしはじめた。。


彼は、家に帰っても、夕食の支度はない、だれもいない部屋に小学生の妹と2人。そんな彼が、うちで学校帰りに食事をすれば妹は一人っきりだった。だんだん、心配になってきた。親切にする事も「責任」を感じるようになった。
そして、我家もまた学校に行かない息子と過ごすべき時間が失われる焦り。
父と接する時間は全くとれなかった。

「連絡してから来い」とか「貸した物はすぐ返せ」とか言えない息子がついに、迎え入れなくなり、玄関にもでなくなる。
息子の気持ちを察してか、ある時ピッタリとこなくなった。


その後、入れ替わりに、小学校時代の友人が近所に越してきて、タバコ、アダルト本、エアガン、ついにはコンドームにいたるまで持ち込んできた。
彼はまた、あちこち外泊をしては、友の家人にいさめられては戻り、あちこち転々としていたらしい。
息子は好奇心を刺激する奔放な性格の彼を、「面白い奴」と言っていた。

母としては、いよいよ悪を帯びてくる息子への“心配”やら“怒り”やら、一歩も外出しない息子の部屋へせっせと小物を運んでくる渡り鳥のような友人への、否、育児放棄しているかのようなその母親への憤りから、息子に対して、友人批判をはじめた。

「親の留守を見計らって携帯で呼び込む事」は息子。
「履物を、もってあがる事(証拠隠滅作戦)」はだれ?
「勝手に冷蔵庫から昼間、ビールを飲む事」は息子。
「タバコの吸殻を2階から投げ捨てる事」はだれ?
「許可なく泊まらせない事」隣の部屋には女の子(姉)がいる。
「盗んだ自販機のステッカーをうちに持ってること」

彼は、息子を登校させようと誘っていたようだった。
しかも、条件が我家に泊まって、一緒に行こうというらしかった。
息子もそれを望んでいるのかと迷ったが、今考えると、息子の不登校は誰かと行けば解決することではなかったから、この条件に屈さなかったのは正しかったと思う。



しかし、ここでも『NO』と言えない息子のジレンマが始まった。

「お母さん・・アイツが泊まりたいていうけど、ダメやろ?」
「うん。学校は外泊禁止やし、むこうのお母さんとは連絡とれないし」

一回許したら、住み込むという恐怖があった。
うちから歩いて5分の所にいながら私がちょっと買物にでたら、もうあがって潜んでいる・・・と言う感じ。

息子は、服の洗濯をしてやり、干してやり、自分の為に準備された夕食を食べさせ、インフルエンザで、うちに早退して来たときもあった。
ちり箱にちりを入れないらしい彼のせいか神経質な息子の部屋は、ゴミ室になっていった。


息子は、泊まりを許可しない私の返答を聞き、私と、彼の間で、部屋へ戻れずに、ある時へたへたとため息と共に座り込んだ。
どういって、どちらかを、諦めさせようかという放心の態度に、私の気持ちも揺れた。


この友人とは、彼の担任に入ってもらった。
彼のうちの事情に通じており、彼の部活の顧問でもあった。
彼が「頼まれて泊まってあげている。助ける為にいつも行っている。息子が泊まって欲しいと言うから、困っている」という理由を述べても、信じる大人はいない。

先生は彼をとても心配し、一年からずっと特別に見守っているかのような印象があったのでお任せした。

きちんと対処してくださったと思うが、先方のお母さんからは後で、怒りの電話をいただいた。
「うちの子を学校に売ったやろ?!あんた喧嘩売る気か!なあ!」

息子はその子がいる時は私の事を「あんた」「オマエ」と呼んだ。
「あいつはあんたを嫌っている」と言ったので負けずに「母さんもあん子は嫌いでおあいこやね。」と言った。大人気ないが悔しかった。

うちの家庭をどうしたいんだ!!といいたかった。
息子よ。あんたにも。

あちらのお母さんに、あいつとは付き合うなと言われたらしく・・息子のところに、彼は来なくなった。
彼の口癖は「お母さんには絶対迷惑をかけたくない。」らしく、息子はそれを親孝行と思っていた。

それからドラムに出会うまでは、息子は寂しそうに毎日ヒマーヒマーと言って過ごした。
彼が他の子達と遊んでるところを、車の中から見かけることはしょっちゅうあり、誰かの「家」をみつけたらしかったが、寂しそうな息子の気持ちを思うと、どうしようもなく辛かったが、安堵もした。

そんな彼も今は高校に入学して、制服でしばらくぶりに顔を見せた。
嫌いな私にも「おばちゃん。これ高校の制服。」と言っては腕を広げてみせた。
「よう似合ってるねえ。」と言いながら、お互い(私の事)あれでよかったんだ・・・と思う。

あの頃の孤独な子供達は、少しづつ大人になっているんだろう。

今、息子は自分の「ドラム」の予定の為なら、誘いを断れるようになった。当時の息子はレスキュー隊のように待機していたなあ。


片寄せあって、なぐさめあって、助け合って、自分達の無力さも味わい、孤独を埋めていく作業。常識やルールは守らなければ受け入れてもらえない現実を知って欲しいと思った。

人は誰でも、誰かに愛され、必要とされ、そして感謝される事をもとめながら、どこかに、そんな自分の居場所を捜しながら生きているのだと思う。
大人だって、同じなんだ。
  1. 2006/10/08(日) 07:06:01|
  2. 「学校すかん」長男|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2
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コメント

グッチさんへ

勝手なもんだなあ・・って思うんですが、
距離を置いてみると分かってあげられることでも
足元だと、困ってしまう。かかる火の粉は払っちゃいます。

いい人をしてる自分が、すごい偽善者みたいに息子に映ってるんだろうなあと思うのが辛かったなあ。
子供には、はっきり「NO」と言える大人になって欲しいと願いながら、自分も言えないんですよね、他人には。
それが出来てれば、息子と学校の問題にもきっと、乗り込んでいってたはずだし。
担任や、息子の友達の母親に、はっきりとこちらの考えを告げた時に、一番嬉しかったのは「私自身」でした。
「息子さんの寂しさを分かってあげてください。」と言ったら「寂しい?うちの子が?」と驚いて、電話の向こう側で「あんた!!寂しくて泊まりあるいてんの?!」とか聞いてました。
離婚した母の負担にならないように、朝5時に自分で朝食を作り、登校し、夕食はコンビニ弁当で毎日。息子はホントに友情だか同情だかわかんないくらい尽くしてあげてましたね。

  1. 2006/10/10(火) 22:27:39 |
  2. URL |
  3. グッチさんへ #-
  4. [ 編集]

もう過去のこととして書いているぺいんとままさんの文章からは
当時はどんなに頭を悩ませていただろうことなのに
息子くんも友だちも
みんな寂しくて行くところがなくて
受け入れてくれる場所のない子なんだ・・・・って伝わってきます。

親はやっぱり”何かあったら責任が”とか
”こういう生活は息子にとってどうなんだろう”って考えてしまって
気持ちを開放したいと思ってる子どもとは折が会わないよね。

そんでも、いろいろあっても時間がたってから
高校の制服見せにくる”彼”、なんだか可愛いなぁ。
>あれでよかったんだ・・・と思う。
そう思えることができてよかったですね。
  1. 2006/10/08(日) 23:49:20 |
  2. URL |
  3. グッチ #-
  4. [ 編集]

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