おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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昭和57年頃・・・「取り合い」

主人には
2歳うえの姉がいて、20歳で嫁いだ。
同時に、主人は大学でうちを離れて(18歳)卒業後、数ヶ月戻っただけで、
再び、就職でうちを離れた。

両親は、それからずっと
同居する2年前まで(平成20年)二人だけの暮らしだった。
子供たちとの親密な生活記憶は、そこで途切れている。
(これが今の問題行動にでてるのかなぁ)

我が家の息子(長男)の歳だ。この歳で手離したのだ。

父は、公務員を退職してから、車の免許を取り
職に就かずに、家事を手伝うほど、こまめに気がつく人で
小さい頃から家事をさせられていた、という。

母の方は、足が悪く、美容院を営んでいたので
70歳まで仕事を持っていた。(過疎化の田舎ですから・・それなり)

結婚して、暮れや夏休みに帰るととても歓迎してくれて
帰りは、車いっぱいのお土産を持たせてくれた。
時々、会うだけの
お互いに「いい顔だけできる距離感」と遠慮はとうてい埋められなかったが

それはそれで、仕方の無いこと。

「うちに5回、帰ってきたら、実家に3回よ。」と、

それが最初に言われた、ショックな言葉だった。
もともと私はほとんど実家に帰らない娘で
何の連絡もしない、つめたい娘だったけれど(つまり制限されても困らない)
・・実家に帰るのを嫌がる姑の感情を、知って・・むしろ驚いた。

それはそれで、仕方の無いこと。
私も息子が嫁をもらったときに、解かることもあるんだろう・・って思って。
すこし、世間の常識感を知った。

「養子にやったわけじゃない。」と、

何を心配してか、しょっちゅうそう言った。
優しい息子が、嫁のいうままに動くことが
ほほえましいとか、あきれたとか、そういう気持ちじゃなくて、「とられた。」と思っていたらしい。
息子が自分の言うことより、私に「どうする?」と聞いてくることが
大変気に障っているようだった。

後に、私が最初の出産後、主人の里で過ごしているときに、そう話してくれた。
「○子さん(私)と、取り合いじゃ。」と1回目。

「取り合い」・・・と52歳の今日までに3回、聞いたかな。
私はいつも、笑って「まぁた~お義母さんわ~」と本気にしてない風に流した。


私は、産後、退院してからは実家で一ヶ月は過ごそうと思っていたが
毎日の姑の電話で、母が(私の)参ってしまい・・たった一週間。

「悪いけど、あちらのうちに行って欲しい。」という母の悲痛な願いがあった。

私が実家にいると、主人が家族に会いにやってきて(当然)
和気あいあいの風景を、きっと想像(妄想)して
居てもたってもいられない・・・そんな状況だった。


※私たちのアパートと、主人の田舎とは車で4時間の距離。その中間地点に私の実家があった。


主人の里では、私は至れり尽くせり。
三食食べて、母乳やってゴロゴロ過ごしていた。
先に姉が2人の子供をもうけていたので、たぶんそうやって過ごしただろうと思う。

孫の沐浴、哺乳瓶消毒、室内温度調節(高千穂は寒い)世話は全部、義父がかいがいしくしてくれた。

もちろん洗濯物も、全部、してもらった。
私は、妊娠中毒であまり動けなかったので、堂々と甘えた。
だって実家で一ヶ月寝る予定だったのだから・・・
同じことしてもらうつもりで腹をくくった。

一ヶ月我慢我慢・・・そうすれば遠く離れて、二人のアパートで
また、自由に楽しくやっていける。

そのころ、なんとなく姑の過干渉、妄想癖
気がついていた気がする。

週末,はるばる会いに来た息子を、嬉々として世話したのは母で
まるで私たち母子は・・・え、餌?みたいな。
玄関でチャイムが鳴ると
姑は、誰より先に迎えに出て行き、お風呂に着替えを運ぶ。(もちろん背中流しは、ないですから!!)


義父はそれを「異常な心配性」と言った。愛情、ゆえに。
どちらかというと放任で育った私には
子供への愛情とともに、「異常な自己愛」にも思えた。

晴れて、アパートに帰る日が来て
赤ん坊の長女を抱いて、お礼の言葉を述べた。

いつものように車のドアも閉められないほどの・・お土産、家電、野菜、魚、肉、冷凍食品、果物、お金。
そして、自分の古着をたくさん持たせた。
あげるものを断る人を、義母はとても嫌った。
裕福な育ちで、タクシーで学校に通ったという義母は、足が悪かったというハンディを負い
昔のことだから、好奇の目にさらされて流した涙もあることだったろう。
他人に、物をあげること、豊かさを誇示するところがあった。

そうだ・・・・車に乗り込む私に
「すぐ、次の子供が出来んように。」と言ったんだった。
なんか、いやだったなぁ。あれ。


あれから30年たって、アルツハイマーの義母が
扉をソーーーーッと開けて

またはベランダのサッシに張り付くように
こちらをうかがい続けるのは

私じゃなくて、息子を見たいのじゃないか・・・と最近、思う。



  1. 2010/04/02(金) 21:59:04|
  2. 二世帯の暮らし|
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  4. コメント:5
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コメント

親になってみれば、私たちはその立場にたってみることが出来ますね。
それが出来るってことが、成長するって事でしょうか。

「相手の立場になって考える」と、我慢とか無理とかしてしまうのでしょうが
自分をどんどん出して、自己中心でいくほうがストレスになってしまう事もありますね。

価値観というものは、すごい力もってます。
  1. 2010/04/09(金) 20:05:20 |
  2. URL |
  3. aprilさんへ #-
  4. [ 編集]

ぺいんとままさん

お久しぶりです。
今日も冷たい雨が降っていて、
桜が少し可哀想ですね。

親離れ子離れ、本当に人それぞれだろうと思います

私の母は今年80歳。
姉私弟の三人の子供がいますが、
弟を溺愛しています・・・50歳を超えた今でも変らない。

三人を平等に愛して育てたと、
ついこの前まで言い切っていたのに、
最近では、
「よちよち歩いてくる姿を見てたら、
涙がこぼれるくらい嬉しかった」とか、
「結婚すると言われたときは、
私の人生はこれで終わったと思った」とか、
あらら、と思うようなことを、
さらっと言うようになりました。

まあいいけど・・・。
というのは姉と私の感想。
でも弟のお嫁さんにしてみたら、
いったいいつまで?というところでしょうね。
スープの冷めない距離とはいえ、
同居していないのがせめても、かしらね。

そして私の三男がまもなく結婚するのね。
私は一人になります。
でもその息子は、
「絶対におかんと一緒に住む、じゃなかったら、
すぐ近くに住むから心配しないで」と、
ずっと言い続けていたのですね。

別に一緒には住まなくていいし、
そんなに近くなくてもいいし・・・と、
半分聞き流していたら、
なんと新居ははるか彼方(私にしてみたらね)。
お嫁さんの実家に行き易いところということで、
あちらの両親と彼女の強い希望があったらしく、
息子はすんなり受け入れたというのが現実でした。

たしかに、お嫁さんの実家に近いほうが、
トラブルは少ないし、暮らしやすい。
そうなんだけどね、
不満を唱えるつもりはないけどね、
どこか納得がいかない私がいます。

母のように、
三人の息子をとられたとは思わないけどね、
そんなに堂々としないでよってところかなあ。

子育てが終わりやっと自分の時間と思う反面、
どこかで割り切れていない自分がいるのですね。

これはきっと永遠のテーマだと思います。
  1. 2010/04/07(水) 13:02:25 |
  2. URL |
  3. april #-
  4. [ 編集]

のんきははさんへ

私たちの親の時代って
大正か、昭和初期ですね。

現代とは「美学」がちがうんですね。
そして
戦争体験から、ほかの時代とは違う壮絶な命がけの決定を、人生で何度かしている。

後期高齢者として負担を強いて良いのかと思うくらい、犠牲を強いられた世代ですよね。
その価値観の人生は計り知れませんね。
  1. 2010/04/03(土) 21:57:18 |
  2. URL |
  3. ぺいんとまま #-
  4. [ 編集]

のんきははさんへ

あらら・・
うちはね。新卒者で就職できなかった人向けの
ハローワークの職業訓練(ワード・エクセル教えて就職援助する)をうけてみるか・・・と促したけど
いまいち気持ちが動かないのですよ。
訓練場所は、母の勤務するビル2階で、母は4階。
もしくは第ニ会場が、自宅から歩いて5分。
ただただ、学校という他人が集まった空間が嫌みたいで、そうとう悩んでます。

申し込みを見ながら・・・「無理かも。」「すぐ辞めるかも。」

就職しろよ!!とせきたてる気はないんですが
ほおって置けず、肩をポンとたたくのが母の役目であるのなら
どのタイミングがいいのかわかりませんね。
  1. 2010/04/03(土) 21:44:30 |
  2. URL |
  3. ぺい #-
  4. [ 編集]

息子をみていたい気持ち ちょっと(いや、かなり)分かる気がします。

幼い頃は独り占めだったのに、大きくなって世界が広がって 私だけのものじゃなくなっていく。
今、まさしく子離れの途中って感じです。

息子が離れていく要因が、顔もみたことのない『友人』じゃなくて、『お嫁さん』という名前でそばにいたら、きっと 取り合い競争にエントリーしちゃいたくなるのかな。

私の母は、勝気な人で 自分の感情(特に弱み)を周りに知られることを極端に嫌います。
うれしいことであっても、悲しいことであっても『それがどうした』みたいな顔で、冷静さを押し通します。
そんな親に育てられると、娘も冷静な喜怒哀楽を表現せざるをえなくなって、結局『事なかれ主義』な女の出来上がり。
それが、誤解をうみ、馬鹿にされているという感情を相手に抱かせるようです。
「真面目に向き合ってない」「へらへらしている」という批判はよく受けます。

どっちがいいのか分からないけれど、きっといろいろな人がいることに 意義があるのかも…なんて開き直っている今日この頃です。

長男はバイトの面接に落っこちたようです。
黒髪にしたのに…やっぱ性格?それとも履歴書…かな…_/ ̄l○
  1. 2010/04/03(土) 11:38:37 |
  2. URL |
  3. のんきはは #-
  4. [ 編集]

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