おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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決意のシミュレーション

母親に500円もらって遠足のお菓子を買いに行く。

500円のうち

300円だけ買って

200円の・・・べつのもの・・・キラキラ消しゴムとか

可愛いエンピツとか

買っても

お菓子を我慢さえすれば・・・きっと母親はそれを許す、と私は思う。

そしてそれを正直に、話さえすればなおのこと

遠足には関係ないものではあるけれど、母親の理解は得られるもんだ、と思う。

それは、お小遣い内の用途だ。

きっと厳しい管理者の父親であっても・・・。

等価交換の法則だ。

それは、ゆるされた範囲内での自由、だと

そう感じるのは私の勝手な“幅”だろうか。

では、

遠足は、バスだといって余分のバス代と

見学料だといって余分のお小遣いを受け取る子供は、赦されるだろうか。

バスにも乗らず、

見学もないのだ。



その子に双子の弟がいて、そんな兄の行動を見てきた、とする。

その弟もまた

同じ金額をうけとることになる訳だ・・・・





母親は、もう知っているかもしれない・・・という不安

厳しい管理者の父親に叱られないために、と

母親がかばってくれているのか・・・という甘え

その良心の痛みは

その弟を蝕んでいく・・・。

それは父への

偽りだから。

等価交換の法則で

子供たちは、得たものと等しき・・・何を失うだろうか。

美しい平和な良心を

少しマヒさせて、受け入れる生き方。

父への後ろめたさ。



守るべき他のすべてのものにも勝って
あなたの心を守れ。
命はそこに、源を発しているからである。(箴言4章23節)



たとえばある日

回覧板が回ってきて、サインをする。

それは“みました”というサインだと誰もが疑わないけれど

実は“仲間”です・・・・という意味でもある。

そういう生活は、続けていて疲れる。

それで、また

ここから離れて行こうと企てることにも


エネルギーはいるのだけれど。


                前門の虎、後門の狼。

必要なのは自己中と言われる勇気。
  1. 2009/03/29(日) 21:51:41|
  2. 楽我記|
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  4. コメント:1
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コメント

人の目を気にせずに生きていけたら、私の人生は間違いなく変わっていた。
まず配偶者は別の人だった・・・なんちゃって。
長男のときだって、カッコつけて 近所の目、友人の目を気にして 我慢し、我慢させた。
「やっぱ、もっと闘ってもよかったんだって(闘って欲しかった)」
最近、そう言い出した長男。
「でも、闘えんからおかぁなんだよな。きっと」
あきらめているのか。受け入れてくれているのか。

「一度、思いっきりのことをぶちまけてやる。」
これは、私の母の最近多くなった発言。
何を言われても 何も言わずに笑っていた母。その鬱積が最近ぼろぼろ出てきている。
ようやく・・・なのか。 ・・・血筋だったのかも。

一度、ぶちまけてみたい。
でも、ぶちまける勇気はない。
自分の心の内をさらけ出す勇気もない。
見透かされるのも嫌。

・・・笑顔の下にトゲを隠して 私も生きていくのだろう。年取って堪忍袋がほころびるまで。
  1. 2009/04/01(水) 08:02:15 |
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  3. のんきはは #-
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