おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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続き・娘からの子離れ

卒業して働き出してからの娘が体調を壊して、
夜になると全身蕁麻疹が出始めたのは夏になる前あたりだった。

「疲れてるんだね。」とは言ったかもしれないが
母の中ではリタイアはあり得なかった。

「高校時代に戻りたい。」
と娘は盛んに言うようになっていた。
わからなくもなかったが、さらりと流していた。

やめる、やめたい、辛い・・・と訴える娘に
「みんなそうなんだよ、はじめは。」と
辛抱強い娘にとことん限界までを試していたのかもしれない。

退職を決意したとき
言葉では自分で決めろといいながら、心では面白くない母の感情は
充分伝わっていたに違いない。
娘の始めての、自己主張だった。
退職届を出して、事務局長にとどめられながら泣いたそうだった。

それからしばらく、蕁麻疹は出続けた。
精神的なもの、と指摘されることを娘はとても嫌がり病院にも行かなかった。
夜の自動車学校だけの、ゆっくりとした生活が一月ほど続いて
娘は自分でレストランのアルバイトを求人広告でみつけて
一人で面接の電話をかけ
一人で採用試験をうけ
そこで、自立を始めていった。

シフトが遅いときは、23時までの勤務で
仕方なく我が家の門限を24時にしてから・・・
娘の行動に、歯止めがきかなくなっていった。
門限過ぎたら、鍵もチェンもして寝てしまう(フリ)母を、恨んだりしただろう。
娘はこんな子であるはずはない、早く目を覚まして本心に立ち返って・・・そんな
自分勝手な筋書きで、親子のシナリオを演じていた。

(年齢19歳から20歳。当然だよなぁ。今、息子はすでに野放し状態だわ。)

それは、
いつも自分がコントロールしていたと思い込んでいた娘の、
その感情をしっかりと見つめてこなかった報い、だと思っている。
わが子を信用できないのは、娘じゃなく私自身の問題だったのに。

そのころ、息子は小学校6年生。次男は1年生。
母と娘の葛藤を、毎晩みながら
幼心に、落ち着かない家だと思っていたかもしれない。

娘がうちを出て、アパートで自活をはじめた。
娘は経済観念もあり、慎重派で、家事も料理もまあそれなりに出来る。
何も心配はなかった。
同時に、我が家はうちを買い引越しをした。

1年が過ぎたころ娘はガリガリに痩せて、(もともと細いが)
うちへ戻ってくることを考え始めたころ・・・

息子は喜び、大賛成をして、姉を迎えようと母の気持ちを動かした。
中学一年の夏。
娘のことは巣立ったものだと思い切り、特に落ち込みもせず
(落ち込んで、暗かったのは父だった。)
帰ってきても、昔の関係には戻ることはなかった。
娘の恋愛はそのまま続いており、母はそれを許すことが出来ないでいた。
ウソをつかない娘の馬鹿正直な生き方は、
母から逃げない、という娘のしんの強いところで
ときおり、下手な生き方だなと思いながらも
娘のそういうところが娘らしい、よいところだと、実は充分知っていた。


母は、息子の部活での活躍と、成長振りに一喜一憂。
成績もグンと伸び、いっそう、学校の仕事にも熱が入り、役員も忙しかった。
部活顧問にへこたれそうに何度もなっていたけれど

娘にしたのと同じように、お母さんもガンバル、あなたも「がんばれ。」
という叱咤激励が教育だと、まだ本気で思っていたんだった。

そして、
ついに優しいこの息子は
この学校側にいた母(女)と、担任先生(女)の矛盾と
部活の顧問(女)の体罰をきっかけに
「大人のいうことはきかない」という怒りが爆発してしまった。

この母が、子供の味方になることは、あのころの子供たちにはきっと期待できなかっただろう。
母は、このような形でしか
本当の親になることが出来なかったのだろう。

娘が、最初に教えてくれた。
人の心を動かすのは、一方的な(愛情という名前をつけた)権威や提示じゃなくて
やさしい同情心や、やさしい言葉なのだということ。

「お母さんはとても心配だから、なんとか返事を返して。」とメールしたとき
あとで娘が言った言葉に愕然とした。

「お母さんが、私を心配してるとは思ったことがなかった。」と・・・
「お母さんはただ、私を言いなりにしようとしているとおもった。」と・・・

愛しているとか
大切だとか

言わなきゃ伝わらないっていう普通のことが、わかってなかった。
多くのことをしゃべってたのは、空振りだ。
鍵閉めたり、罵ったり、ほんと子供みたいに怒りをぶつけていただけ。

だから、息子の反抗には、少し大人に成長していた母は
言葉を選ぶこと、
まず、どういう風に話すかを考えるようになったような気がする。
(息子とは、また、息子との葛藤があったけれど)

今は娘と、一人の成長した女性として、同じ高さの目線になれそうな、予感がする。
娘が時々、母に甘えに帰ってくる週末に
ようやく母の「子離れ」が終わったな、と感じるようになった。




  1. 2009/01/15(木) 20:52:29|
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  4. コメント:2
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コメント

u-たんさんへ

ありがとうございます。

それから、拍手を下さった皆さん。
ありがとうございます。
こんな失敗話ですが、ここからが出発だったんです。息子の不登校は、第二段階のステージでした。
今は、問題のないような次男を、母としては第三段階のステージと思って、大切にしています。
  1. 2009/01/20(火) 22:49:46 |
  2. URL |
  3. u-たんさんと皆さんへ #-
  4. [ 編集]

書いてくださってありがとう。

ひかりを見るために暗闇と感じる課題を
人は与えられるのかもしれない。
それは飛び越えるわけには行かなくて
一段一段歩くしかないのだと。

感動して震えました。
  1. 2009/01/17(土) 23:24:14 |
  2. URL |
  3. u-たん #8mQnrvzk
  4. [ 編集]

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