おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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自立じゃなくて孤立だった

夕べ、何気にNH○をみていて、子供サポート番組に釘づけになった。

ゲストの東ちずるさんや、子供支援ホームのかたや
子供たちの生の声を聴きながら
自分の子育てを、考えた。

私の娘は
母の自慢の子です。

この子が3歳のときに、夫が脳腫瘍で大手術をした。
(手術の前後、初めて両親と離れて2週間、預けられて一度も顔を見なかった)
手術が成功して、
宮崎から東北の病院に、
父と、付き添っていた母に会いにきたとき

母(私)の頭の中は、
昔の面影と変わってしまった父を見て娘がショックを受けるだろう・・・ということよりも

ショックを受けた娘を見たときに
夫がどんなにか絶望するかもしれない、という心配の方が大きかった。

郡山の駅のホームで、付き添い人に連れられてきた3歳8ヶ月の娘を
両腕で抱きしめたとき、

娘がギューっと母にしがみついてきた。
母に抱かれたのではなく、抱きしめてきたのに気づいていてもなお
病室に連れて行く前に
この子に
この幼い子に
父がどんな辛い試練に耐えたのかを
理解させようとさえ、私はしていた。

聞き分けのいい、期待にいつもこたえてくれる、この娘は
病室で緊張して、笑わなかった。
(実際、もし笑いあいの再会があっても、父の顔面の麻痺で、もっとおおきなショックだったと思うが)

宿泊先の庭で、二人きりで
生まれて初めてのユキダルマを作ったとき
娘は、あの天真爛漫な顔で・・・わらった。

それから、息子が生まれるまでの5年間。
3人はトライアングルみたいに、助け合い生きたけれど
娘は、私たちがきっと大好きで
私たちに愛され、仲良く幸せに暮らすための
自分の役目を
きっと一生懸命、頑張ってくれてたんだろうな・・・

貧しいときは、貧しさを楽しみ
無いときは、無くて満足し、
そうして念願だった兄弟が生まれて、娘はほんとに喜んでいた。

中学も
高校も
やっぱり自慢の娘だった。
参観日に行きたくない、とか
センセイに注意を促されるとか
友人関係で問題があって、とか    なんもない。
通知表も、だいたい中の上。母は充分、そんな娘が大好きだった。

男の子からの電話は、取り次ぎたくなかったぐらい・・
コンビニの入り口に、若い男の子がタムロしていたら娘を見せたくないくらい・・・
宝物だった。

娘は、母の喜ぶ顔が見たかったのか、
そういう母が好きだったのか、
母のそばにいつもいた。

このジコチューの母は
そろそろ自立してもらわなきゃあと思い始める頃から

「自分はどう思うの?」
「自分で決めてみたら?」
「自分の人生でしょ、お母さんに聞かないで。」

そんなこと言い出していたんだ。

卒業したら、子育ての大きな一つが終わる、と勝手に考えていた。
下には4年生の息子と就学前の次男。
夫は相変わらず、病弱で
母は、いろんな仕事を抱えていた。

同級生が春休みに入って、心と気持ちの切り替えをする季節に
娘はまだ卒業式も終えないうちに、就職した。

就職先の病院から、医療事務の学校へ通わしてもらい
同じ時期に、夜間の自動車免許を取りに通い始めた。

それはまだ、3月生まれの娘が17歳。
突然、社会に出て
夜は、自動車学校と、別の日は医療事務の学校。

病院の受付では
意地悪な独身女事務員が、いじめてくれて
暗い顔して出社して
暗い顔で、帰ってきた。

母のしたことは、逃がすことじゃなくて
「ガンバレ」と・・・・
お昼にはメールを送り、お弁当を届け、車の送迎をしていた。

どんだけ、母が思いやりの無い、なんもわかってない人間だったかってこと。
数え上げれば
きりがない・・。

あえて、夕べの番組でいわれた中からの、いいわけを言わせてもらえるなら
母もまた、自分が自分の親にしてほしかった事
満たされなかった子供時代の自分の空白を

自分の娘に味あわせないことが、きっと娘を幸せにできる、としんじていたかも知れない。

無関心じゃなった。
放任でもない。
でも、私の思い通りに育てようとしていたんだ。
そして
そのように育つことが、娘の親に対する愛情だったのに。

自分のタイムテーブルで、自立、を期待してしまった。

それは娘にとって自立ではなく

孤立、だった。

そうだよ、捨てられたようなもんだ。がんばってきたのは誰のため??

(東ちずるさんのお母さんと、おなじだ。)

一人で泳ぐ自身も持たせてないのに
ひとりでやってみろと送り出したようなものだった。




  1. 2009/01/11(日) 21:56:46|
  2. 娘のこと|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:4
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コメント

U-たんさん・のんきははさん・のんのんさんへ

コメントありがとうございます。
娘を育てているころは
正しいお母さんという虚像に向かっていたのかな。
それが自分の存在価値みたいに、自分のマニュアルのつもりが実は、世間のマニュアルだったりして。

娘のことはもっと自分を掘り出さなきゃいけないところがある。ほんと、ちょっとづつだけど、明るみに出すことが、私にとっては、修正作業です。今後の娘と接していくとき、母がきちんと対峙できていくかのポイントだな。
  1. 2009/01/15(木) 20:05:34 |
  2. URL |
  3. ぺいんとまま #-
  4. [ 編集]

コメントいただいて、
ひょっとしてこちらに書かれているかなと思って来てみました。
フラッシュバックってそういうことだったんですね。


お母さんになっている人もいろんな育てられ方をしているし、
子供には幸せになってもらいたくて一生懸命したことだけど、
実はちょっと方向が違ってたって気付いて後悔する人はたくさんいるでしょうね。

わたしもあそこで気付かなかったら、どんどん違う方向に行ってたなあと思ったりします。
気付いたところから仕切り直すしかないんでしょうね。

  1. 2009/01/12(月) 16:07:35 |
  2. URL |
  3. のんのん #.uGei.uM
  4. [ 編集]

私も子どもが可愛くてしかたない母だった。
それなのに、過干渉だ過保護だと言われることが嫌で、それを否定するために わざと突き放したこともあったっけ。
子どもにしてみたら、ある時はOKなことが、ある時は地雷を踏んだみたいに怒られて、さぞ迷惑な話だったと 今なら思う。
いじめられていると分かった時は、先生に任せると言って放り出した。
恐喝をうけていると分かった時は、警察に任せようとした。
私は手をださない=過保護ではありません みたいな思い込みで…
先生に言わせたのも、警察に連れて行ったのも私だったのに、その報復を受けて つぶれたのは長男だった。
後悔しても取り返せないけれど、それでも 精一杯愛していたとだけは言える。
ごめん。
  1. 2009/01/12(月) 12:48:13 |
  2. URL |
  3. のんきはは #-
  4. [ 編集]

自立ではなく孤立かあ

でも愛されていた事は確実に伝わっていますよ。きっと。
どんなに大切な宝物かって事。素敵なお嬢さんだもの。
親も必死だったんだから。知らなかっただけ。
気付けたのだから、もうそれだけで。

下の子ちゃんだけでなく これから親になっていく人たちにも伝えられる。
私に伝えてくださったように。
  1. 2009/01/12(月) 09:50:42 |
  2. URL |
  3. u-たん #8mQnrvzk
  4. [ 編集]

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