おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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年取りの晩

毎年、年末31日になると、夫の実家に1泊で帰るのが通例となっていて
エプロン持参で帰るものの出番はなく
たいていは、帰り着くと、お風呂。
まだ日の落ちない夕方から食事会が始まる。

“年取り”

母が“年取りの晩”といっていた。外国で言えば“ホームパーティ”とでも言うのだろうか。

結婚して26年のうち
入院や出産やアクシデントを除いてはほとんど、山奥の静かな田舎で過ごしたが
2年前から義父が
「御節だけ贈るから、もう帰らなくてもいい。」といって来た。
老夫婦二人の生活へ大人五人が加わるのは、何かと忙しいだろうとは察したが
義母は、私に手伝わせるということを、頭から当てにしていたことがなく
私や夫がしようとすると、義父にさせるので(実際、義父を“執事”だと言う)
あまり動かないことが、懸命だと思っていた。
事実上の労働は義父がするので
年末はもう動けなくなっていたのだろう。

おそらく2年前あたりから
義母はまったく調理の手順がわからなくなっていたのかもしれない。
それは私たちには知られたくないことだったのだろうか。
去年2月に同居し始めてから家事は一切してないが
時々二人の会話を耳にして、状況はさっしていた。

父は耳が遠くて、声が大きい。
母は自称地獄耳だけど、記憶と判断が、できない。

どうやら、失禁が頻繁になっているようで
父が回数と量に閉口していて
母は立派な理屈を並べて“逆ギレ”していた。

そんな、状況の中で
“年取る夜”がきて
例年通り注文した御節とお料理を届けてくれて食事会が始まった。

義父の挨拶から、引っ越してからの一年間の感謝の言葉と
穏やかなやさしい表情で、「来年も頼みます。」といった。
義母は隣で深々と頭を下げた。

息子は年越しライブで街へでており次男との5人だけ。
記憶にない次男を、ジッと見続けて何も食べようとしない義母に
義父が食事を促す。

テレビからは暗いニュースが流れ、沈黙が続く中

おんぷ
ピンポーン


娘がヒロピとやって来た。

思いがけないお客だけれどとりあえず宴の中へ。
ヒロピの社交性と
娘の対応に、次男は何とか逃れ道を見つけて、ホッとする。

早めに(居心地もわるかったのか)自室へ戻った行った義母は
またいつもの二人だけの世界に返っていった。

義母の語ること、聞くこと、視線・・・
アルツハイマーの進行しているのが解かる。
年末に一度だけ義父に
デイケアや何らかの福祉のお世話になることを、
夫と一緒に促したが
「お母さんは、ムリじゃろ・・・。」
と言った。
「お父さんがお世話できなくなったら、私たちじゃムリやし、お母さんが私にはさせないだろうから、辛い目に遭うのは(他人の世話)お母さんだから・・・。」

「大丈夫じゃが。」  (俺がアトになる?という確信?)

二人だけの部屋からは二人の笑い声もある。
義母の歌声さえ、聞こえる日もあった。
思い切ってボーズ頭にした義父を
「ええらしいじゃろ?」(可愛らしい)と言う義母は
今、どのあたりの記憶に戻ってるのだろうか。

私に話す時、シャンと戻ってしまう義母に
私への超えられない緊張感を感じてしまう。
であるからこそ
私が手出ししない大きな理由が、ある。



夜中に戻ってきた息子が、そのまま寝ないで
2時半には新年号の新聞を配るのに母を起こした。
父と母と弟と
今年は4人で配達ルートを(かつては母のコース)たどった。





  1. 2009/01/01(木) 14:01:04|
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