おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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嫁のたくらみ

もう5年も付き合っている彼が「そろそろ、来る予定だからね。」と
ある日娘が言った。
(彼氏が会いにくる=親に話すような話がある)

もとより覚悟の“その日”だけど
父親の心中を察する前に

そう、ギャル
メデューサをどうするか・・が難問だ。

自宅待機で、一週間ほど自宅にいた父とその両親は
さぞかし水入らずで・・・と思いきや
毎日毎日、息子を伺い、
「何しよっと?」「今日は仕事は?」「なんか食べに行こかい?」の質問攻めで
ついに父は自分の存在を、消す?っていうのかな。
気配を消す。息を殺して潜んでいたらしい。

知り合いの訪問者があり、玄関で説明を聞いていたら
押し売りでも、セールスでもないのに義母は

父、つまり息子なんだけど・・その後ろに仁王立ちになり
どこから来たのか、うちの前にはどこの家にいったのか、何の用事かを
何回も何回も訪問者に聞き続けた、らしい。
きっと応対者が私だったら、出て来れないのだろうけど
(おそらく庭先まで出てきて、外から聞き耳を立てることくらい)
息子なんだから遠慮はない。

気の毒になった父が
「お母さんはあっちに行っちょって!」というと
「あんたは騙さるっちゃが!」
「そんげな人と話なんな!」とその場で言い張り、
ついに父は訪問者に帰っていただくことになる。

この頑固さに、義父はあきらめ、聞こえない耳を持つことになったに違いない。

次男の家庭訪問では・・・あれは心地よい春風の頃だったが
まだ同居2ヶ月目で
仕事を休んでバタバタ大掃除中の私を
庭先に椅子を運び、外から観察していたようだった。
先生が来るまで。

ところが、時間を聞いていない義母は待ちきれず
油断して部屋に戻った午後3時・・先生はやってきて訪問を終えて帰られ、
すれ違いのように義母が、再び門番のように現れ
テラス越しに室内を、身を乗り出して覗いていたものだった。

帰った後ときくや
「見らんかった、知らんかった。いつきたつけ?」」
「何を聞かれたっけ?」「私たちのこと、なんかゆうたけ?」
「車の音がせんかったが、こっそりきたつけ?」 (なんでや?!)
「どこに住んじょらす人け?」「なんか私たちのこと言わんかったケ?」

そして、義父に「あんたは気がつかんかったっけ!」と怒る。

間違いない。被害妄想性人格障害だと私は思っている。



娘の彼と、父親とが向き合う一世一代のその日に
同席して「仕事は?」「親は?」と質問攻めか。
じいちゃんを斥候として送り込み、座らせて、自らは  アップロードファイル  か?

なんとかせねば。

息子がスクーリングに行くので、父が送っていくことになり
車で出かける姿を見た義母は
当然私も出て行ったと思ったのか、部屋に戻った。(自分の玄関先から)

義父が一人、庭で洗濯物を干し終わった絶妙のタイミングゥ  に
私はすかさずメモを渡す。

なぜかお分かりでしょうか。
義父は耳が遠くて、内緒話は出来ない。
会話は全部筒抜けて、そのうち地獄耳の司令官が現れて、痛くない腹を探られることになるから。
義父母が個体で離れる時間なんて
ほとんど見たことがないし、あいにくとうちは夫も片耳の聴力が無い。
爺ちゃん婆ちゃん、そして息子との
水入らずの会話は、成り立たない。
(まるでドリフターズの世界だ。)

【今日は○時に娘の交際相手が正式の挨拶に来るので、 
まことに申し分けありませんが婆ちゃんが出てこないようにお願いできますか?】


どうでしょうか?
ずいぶん失礼な嫁ですよね。私。

「どっか、連れて行くがぁ。」

そういって、二人の老人を暑い午後に外出させることになった。

  1. 2008/07/07(月) 16:01:53|
  2. 楽我記|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4
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桃畑の新婚さん

お会いしたこともないのんきははさんの
白いエプロン姿とか、思い描きました。
昭和30年代の私もまた、自分の爺ちゃん(父の父)がよみがえってきました。
視力がおちても白内障は今ほどお安い治療じゃなくて・・・
踊りのすきな爺ちゃんは、店先で(おばさんの小売店)手をクネクネさせて
自分の世界に浸っておりました。
五右衛門風呂ではいつも、どどいつ?や詩吟(白虎隊)を唄ってくれました。
が、やはり母は「ちょくちょく監督に来る舅」・・・苦手っぽかったですね。

桃畑では桃は収穫されましたか?
桃は貴重品で、あの頃の店先には「つまゝないでください」と手書きの札が差し込んであった昭和でしたね。
  1. 2008/07/09(水) 15:32:54 |
  2. URL |
  3. のんきははさんへ #-
  4. [ 編集]

中国残留孤児

今は亡き義父は、目が不自由で行動範囲が限られていた。
目が見えるころ自分で開墾した桃畑。そこなら人の手を借りずに動き回ることができた。
その桃畑の隅に次男坊の新家を建て、そこが我が家。
元気な頃は自分が建ててやった家の様子(と、新参者の嫁の様子?)が気になってか 一日に何度も何度も訪れては そのたび一時間、二時間と話していく。毎日毎日、毎朝毎晩同じ話が続く。じいちゃんの戦後間もない頃の話題の中に首までどっぷりつかっていた。
結婚直前まで ばりばり(のつもりで)OLをしていた私には、急転直下の生活の変化に戸惑い 疲れ果ててしまった。
ある日見かねた友人が励ましにやってきてくれた。自分がもてなさにゃああかんと思ったのか すぐさまじいちゃん登場。
だんなさんの海外赴任でマレーシアから帰国したばかりだった友人は、「現地の人の扱いは慣れているから任せて」と相手をし始めたが そのうちじいちゃんが大きな誤解をしていることに気がつく。
「日本語を忘れんかったでよかったわな。」
「育ててくれた人らぁも日本に呼ぶんかな。」
中国残留孤児の放送が繰り返されているころだった。
日本の進歩に驚いているという思い込みで、じいちゃんは電子レンジの説明を始める。
戸惑う友人に、笑いをかみ殺しつつ『敗北』を宣告した。
結局昭和30年代生まれの彼女が中国で育ったと 最後まで思い込んだままでした。
数ヵ月後、敬老の日の記念品でもらった扇子を 友人にと…預かりました。
お陰で 今でもそのネタで たくさん笑えます。
  1. 2008/07/09(水) 12:52:48 |
  2. URL |
  3. のんきはは #-
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母は強し

自分のことなら、まあ100歩譲って我慢もしますが
子供に関しては、はっきり言うべきことは言う、と
心に決めての同居だったので、やっちまいました。

お義父さんのほうが寂しく感じたんじゃないかと心配です。
普通なら、紹介したっていいんですものね~
ま、気にしない。
  1. 2008/07/09(水) 12:38:53 |
  2. URL |
  3. れいんぼーままさんへ #-
  4. [ 編集]

「たくらみ」ではなく「切なるお願い」かと・・。
先々、お義母さんのことが先方さんにわかってしまうにせよ、「その日」は娘さんにとって一生を左右する大事な日。なんとか平穏無事に迎えたいものですね。
幸い、お義父さんが協力してくださるようなので、お義母さんに気づかれないようにお出かけしていただきましょう。お義母さんを邪魔にしているようでなんだけど、娘さんのためですもんね・・・。
  1. 2008/07/09(水) 00:41:10 |
  2. URL |
  3. れいんぼーまま #Dg/6wNbc
  4. [ 編集]

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