おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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友達が怖かった

“恐怖”に打ち勝つ為にどうするか
人間は恐怖にどう反応するか、慣れるか、戦うか、逃げるか。
そんな番組を観た。

F1レーサーの助手席に乗ってコースをまわった後で
同じ車で、同じコースを町の素人暴走族(実はプロドライバー)の助手席で、
再び周回するという企画。
その恐怖をどう逃れるかで、うろうろおろおろする様子は
戦うか、逃げるかの2つの選択肢に(生命に関わるから)
本気で苦しんでいるようで、笑えなかった。

お笑いタレントでの実験だったが
人の心理の奥深くをたどるうちに、息子の事を切実に思い返した。
いつだったか日曜日に息子をスクーリングに送っていったとき、車中で
「オレ・・・友達が怖ぇかったっちゃろうね・・。」
と、ポツリと言った事があった。

息子は中二になった時
小学時代から“嫌い”だったko-kiと同じクラスになった。
            
一学期にふざけて後からズボンを下げられ
息子は激怒して「赦さん!」といったらしく
しかしながら彼に呼び出されたときは
土砂降りの中に迎えに来たよそのお母さんの車で
さっさと逃げ帰った・・・・という事件があった、そういえば。

それなのに
修学旅行の班も、昼休みの過ごし方も
一緒の行動しているのは母は不思議だったんだ。

クラスは悪い素行ながらも彼が中心で回っている感があり、
担任の女先生もなんとなく彼の機嫌をとっていると思われるところがあった。
彼は、先生に不満があると
机を蹴ったり、暴言を吐いていたから怖かったのかもしれない。

息子が気を許すクラス友人もまたサッカー部で(そうだったなぁ)
彼の傘下にいたし
学校で一緒に過ごすには彼を無視することが出来なかったに違いない。

自分がテニス部顧問に殴られて、
髪をボーズにされて帰ってきたとき
屈辱もあったろうし、悔しさもあったろうし、怒りもあったろう。
部屋で暴れて、籠って、考えた事は
「もう学校には行かない。」という結論だった。

息子は
友人の中で“馬鹿にされる”という恐怖と戦えず
なめられる自分を見過ごす事が出来ず
恐怖から逃げるという選択をした、という事を
今、3年経って自ら気づいた。



息子は、ko-kiが先生に反抗する態度を甘く見る担任や
「お前には期待してるからな。」とko-kiの肩をたたいていく校長の
大人の
なんか方針?が汚く、ずるく、不公平に見えて仕方ないようだった。
それでも
そうであってもたぶん
友人の中での自分のポジションは重要だったのだろうと思う。

学校に行かなくなってから何度も
「先公は、殴り返しそうな奴にはちやほやして、俺らみたいに暴力でかかってこんって奴らには
とことん見下げた言い方やら、皮肉やら言う。」
と言って悔しがっていた事があった。
先生に(権威に)どう対抗するのかが
彼らの強さのバロメーターであり、上位につくポイントだったのか。


かろうじて、あの頃
不登校を決定し、髪を染め、いち早くピアスを空けて
そのグループで居続けた息子は
たまに登校すると、そう、そうだった、くたくたになって帰宅して
そして2日も眠り続けたんだった。

そのサッカー部の連中は(今、息子が明かすには)
盗んだバイクで遊んだり、事故をおこしたり、
犯罪性のあることをしていたそうだが、
息子は学校に行かないことで
幾つかの場面に参加せずに済んだらしい。
そんなダーティな仲間に認められたいと思うことが
そもそも不似合いな選択だったとしか思えない。

もう少し、経験ある大人なら判断できたことなんだろうが
思春期のあの世代には
仲間の圧力は命を掛けるほどにも重要みたいだ。

3年になってからも
ko-kiは同じクラスだった。
母がもう少し息子のことを理解していれば
クラス編成にお願いできたことがあったかもしれないが、
母は、友人関係が不登校の理由とは微塵にも思わなかった。

学校に行かない息子は
週末にko-ki宅に集まるサッカー部の連中と
よく遊んでいた。

3回ほどko-ki宅に集団で泊まったこともあったが
息子は、外泊した夜は
一睡もしないで帰ってきた。
いつも、そうだった。・・・帰宅後、爆睡。

「あの頃、泊まりに行っても眠らなかったのは、信用できんかったからやと?

「そう。俺、あんやつらがうちに来るときは、大事なものは隠したし。」

母は、なんも判ってなかった。

卒業してから、ほとんど毎日来ていたイケメンK君が
サッカー部のメンバーだったこと、
あの事件
おかげですっかり交友が無くなったとはいえ
息子は、この中学校地域で
昼間歩くことを絶対にしない。

恐怖に打ち勝つには

慣れるか、逃げるか、戦うか。

ちなみに母も
おおかた、逃げてきたけれど
逃げる自分も大好きよ。
こんな小さな田舎町で、ちんまりこそこそ一生を終わることも無し。
そんなこといいながら
家路を急いだ。

  1. 2008/05/25(日) 10:18:45|
  2. 「学校すかん」長男|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2
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コメント

息子は小学6年生くらいでも一人で留守番できない子で
寂しがりというよりは、怖がりだったような気がします。
寂しがりの子が、家族以外の社会で自分自身を確認しようとする時期に
友人たちと“同じ”“一緒”で安心する。
そこで、どんな友人に囲まれていたか、どんな友人を選択したか・・
重要なことなんですが、親がどこまで手を貸せるかは限界がありますよね。
ハブられる(無視される?ってことかな)とかすごい怖いことで、無視される価値の人間だと公にされてしまうことは、辛いなんてもんじゃない。
不登校は、そんな戦いに疲れての休息だったのかもしれません。
・・・見つけていないピースはまだまだあるはずですが、だいじなとこは本人がそれを持っているってとこです。
  1. 2008/05/28(水) 05:27:16 |
  2. URL |
  3. グッチさんへ #-
  4. [ 編集]

なんか・・・

わかる。
ぺいんとままさんが書いていることは
私には漠然として言葉にならなかったけど
ウチの息子も似たような事実があっただろう、と思ってました。

>仲間の圧力は命を掛けるほどにも重要

大人には笑い流せるようなことだとしても、
子どもの世界は狭くて窮屈で
仲間と同じであることが重要なんでしょうね。
それが、自分を追い詰めていくなんて
わかるはずもなく。

3年かかっても、そんな会話ができるなんて
親子の間に信頼があるんだろうなぁと読みながら思いました。
  1. 2008/05/26(月) 21:10:46 |
  2. URL |
  3. グッチ #-
  4. [ 編集]

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