おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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母の事

母は17歳で母親を亡くした。
子宮癌だった。
弟が3人、妹が1人。先妻の忘れ形見の3つ上の姉が1人。

きっと食べ盛りだったに違いない。

新しい義母がきて
幼い乳飲み子を残し、また亡くなった。

母の20代は弟や乳飲み子の世話で
青春はなかっただろう。

29歳か30歳で結婚した。

すぐに長男が産まれたが
産声を上げず、お産婆さんがおしりをバシバシたたいて
蘇生させたらしく
母の話ではお腹の中でも、ほとんど動かなかったという。

兄は3歳でやっとつかまり立ち・・・
成長の遅れがはっきりと見え始めた頃に私が産まれた。


母は、義妹が二人いる家に嫁ぎ
結婚も反対されていたうえに
長男も障害者で、ずいぶん肩身が狭い思いをしただろう。

教育も受けていなかったから
父に頼るしかなかったと思うが
父は、出張の多い仕事で
母は婚家の商売を手伝いながら、兄と私を育てた。

ものごころついたときは
すごく長いテーブルで10人ぐらいで夕食を食べていた。
料理上手な父の妹が、カレーの鍋をだし
母のカレー鍋の横に並べて
好きな方を食べるようにと云ったことがある。
泣きたいくらい悲しかった。
悲しさが胸までこみ上げながら、カレーを飲み込んだ。

母は
気に入りの立派な嫁にはなれなくても
立派な母親であろうとする思いを注ぎ込んで
兄を愛してきたと思う。

しかし
年を重ね、老化が進み、体力と判断力が失われ初めて
独りになり
「私は苦労するために産まれてきたんだろうか。」・・・と言う。

私は、恨むことも、ひがむことも、気がつかずにいた。
恵まれていて、悲惨でもなかった。
虐待もなく、教育も受けさせてもらった。
父の妹たちのおかげでもあり
商売を手伝うという、今思えば存在を認めてもらえる仕事があり、
働くことは大好きだった。

(実際、長男に嫁ぐときに難色を示したのは、跡取りに考えていた叔母だった)

人生の設計図に
親は居なかったので・・・今、とまどっている。

25歳で結婚して
夫の両親と25年間つきあってきて・・・今年50歳になる私は
夫の両親との同居を目前にして

急に
母が不憫であり
だからといって、どうもできず

人は歳をとり、衰えていくという現実を噛みしめている。

今日はなんだか
重たい話。

冷たい娘とよばれても、私に救いの手がだせない現実。

  1. 2007/10/01(月) 21:42:00|
  2. 楽我記|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4
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コメント

haruさんへ

きっといろんな親子があって
順番に時代を生きて、順番に年老いていくんですが、
どの子供が人生の最後にかかわるかなんて
誰にも分かりません。
そんなこと計算ずくで育てる人はそういないと思うし・・・
出来ることを、するしかないです。
そんな私の姿を子供達もまた見ていると思います。
そばで世話する人間が一番大変なんですよね。
  1. 2007/10/06(土) 18:06:49 |
  2. URL |
  3. haruさんへ #-
  4. [ 編集]

ただいまの場所は・・・

あぁ、こんな人生があるんだなぁ・・と
思うほどのお母様の人生。
何度も読み返してしまった。

でも人生はいろんなことを
選んでいかねばならないんだね。

正直、親の事はいつも心にあるよね。
愛情をはかりにかけたら、そりゃ自分の母親だよね。
でも、ぺいんとままさんも、きっと遠くまで歩いてきちゃったから。

なんとなく、このブログのタイトルを
しみじみと考えちゃった・・・
いいタイトルだよねぇ。

  1. 2007/10/03(水) 23:54:32 |
  2. URL |
  3. haru #mQop/nM.
  4. [ 編集]

そうなんですよね。
したい事と出来ることとは、とっても違う。
正しいことが何なのか知ってることと
やってることが、違う。
自分の限界をわきまえることが大切なんだけど
限界を決めてしまうことは、言い訳のようでもある。
「老齢の親」とのかかわり・・・情愛と責任。
子育ての波を乗り越えると、待っているステージですが、
のんきははさんからのアドバイスを頼りにしてます。
  1. 2007/10/02(火) 23:15:07 |
  2. URL |
  3. のんきははさんへ #-
  4. [ 編集]

現実

身体が(&お金も?!)たくさんあればいいのに。時間も・・・
残り少ないであろう両親の人生に もう少し関わりたい。80歳近くなって桃畑や田んぼや野菜畑の世話に痛い足腰を引きずっている義母の手助けもしたい。不眠症で不安定な息子にも、悲観論者で受験期のピリピリ次男にも もっと向き合って行きたい。息子らの友人で、ちょっと危なっかしい奴らからも目を離さず関わって行きたい。

でも、それは無理。
今は生活を守るために仕事をしなければならない。一日の大半を職場で過ごす。

年老いていく親たちの時計は止められない。無防備のまま外へ飛び出そうとしている息子らに、伝えられない想いがあふれそうなほどだけど、それは過保護、過干渉という言葉で止められた。せめて見守りたいと思うけど思うようにはならない。

テレビドラマの主人公のように、いろんな共演者と関わるシーンは訪れないんだよなぁ。
結局私は単なるお節介なおばさんなんだろう。
『手伝いもしないくせに』と言われても、『気がきかなくてすみません』と言うしかない。
  1. 2007/10/02(火) 05:42:48 |
  2. URL |
  3. のんきはは #-
  4. [ 編集]

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