おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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沖縄行

ただいま帰ってきました。
お天気が悪いかと心配しましたが、あったかくてまあまあ。
ちゅらうみ水族館へ行くころは太陽もでてました。

雲があったので、ドライブ中、海は最高じゃなかったようだけど
私にとっては大満足。

温かい風と
のどかな風景と
しろい海岸。

やせてたら、泳ぎたかった。

水槽の中で・・・ではありませんよ。海で。
090130_1059~02




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  1. 2009/01/31(土) 16:34:18|
  2. 楽我記|
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ささいな変化

夕食で集まった席で

次男のDSを息子が触っていた。

次男が、なんか言ってるけど

無視して、はじめたようだ。

5歳も違うと

たいていのことは兄が優勢。

次男もまた

特に逆らってまで自分を主張しない・・・・・しなかった。


夕べは画期的なことに

次男が、本気で、ゆっくりと、しみじみと言った。


「お兄ちゃんって、ほんっと、わがままじゃがね~~。」

びっくりえぇぱんだ


息子は振り向いてニヤと笑い

引き続き顔をもどして、やり続ける。


やっとこさと席に着いた母は

「よくぞ、いってくれたね。笑顔」と。


息子は横顔のむこうで、その言葉が頭の中でリフレイン?
気にしながら、兄の威厳を保って引き下がれない?
バーチャルな世界にこれから旅たつところ?

それとも、・・・・そのとおりだと、わかってるんだなぁ・・・・

案外、弟の言葉に兄も成長を感じてるんかもなぁ。




そろそろ次男も、

母の身長に届きそうだ。




  1. 2009/01/26(月) 16:32:35|
  2. ノビ太癒し系|
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最大の敵

朝ごはんの準備中に降りてきた息子が

母の周りを行ったり来たり・・・

「朝ごはん、食べた?」と聞くと

「うん・・。」

いきなり

「母さん!タスポ作って!」


は?  bikkuri


煙草は自室で、または外出先で(もっぱらほとんどバンド仲間といる時)吸っているのは
知っている。

母に現場をみせることはなく
もちろん自室以外で、たしなむ(?)こともない。

暗黙の行為。

そりゃあ、どうぞどうぞって訳にはいかないよね。
法律だし。

配達の帰りに顔認証の自販機でキョヒられて
わざわざ“それ”を買いに遠路はるばるのコンビニには行く気も無いようだ。
ひげボウボウでも20歳以下に判定されるとは
たいした自販機だ。

買わないけれど私も判定されてみたい・・・・20歳以下の認定  わほー ないない。

どうやら息子はバンド仲間に頼んで、手に入れてたみたい。
まあそんなとこだろう。

ライブも無く、練習も無くて困り果てての叫びが

『母さん、タスポ買って~。もう一週間も我慢したっちゃ・・・』  なんだろう。


しばらく返答無しでいたら

「最近、なんもうまくいかん。全部、うまくいかん。はぁあ・・・。」  キーッ!!
そしてイライラし始めた。
どうやら怒りの感情が芽生えてるようだ。

これこれ、
小さい頃から、息子は思い通りにならないとこんな表情で怒りをむきだしにする。

「いい機会だから、もう止めたらいいんじゃない?」

「いや、無理!」

冷蔵庫から、夕べの残ったリンゴを取り出し、大きな音をたててかじりはじめた。

「タスポは最大の敵じゃ。」  バリッポリッ む~っりんご4 シャカッシャカッ

どうも最近、健康食品やサプリを
ガバガバ飲んでいるようだったが、なんか口寂しいのかな。

大げさだけど

麻薬切れの息子の禁断症状に、注射してやる親はおらんやろ。・・・・と心でつぶやく。
食い下がってくるかと思ったが、さすがに無駄だと悟ったようだ。

それから、2階に上がっていったきり、母が出かけるまで顔を見せなかった。
それはいつもと変わらないことだけど。

布団かぶって寝るか。
コンビニでバイトしてる彼に連絡取るか・・なら、もっと早くしただろうしな・・。

そんなこと考えながら、仕事場に着いた。


ん?なんもかもうまくいかないって?
あれ?なんか他にもあるんだな、きっと。

リンゴリンゴ 買って帰ろう。

  1. 2009/01/22(木) 15:21:21|
  2. ドラム息子|
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ジューンブライド

おいしいドレッシングができたから
取りにおいでとメールしたら

娘が電話で「今日はちょっと無理。」と言ってきた。

まるでついでのように
「ヒロピと、いろいろ見て回ったんだけど・・レストランウェディングにしようと思って・・で、仮契約とか、したけど・・・」

「そう。良かったね。早いほうが安心するよ。一生に一度の貴重な経験だから悔いのないように二人で決めなさい。」

(そういう自分たちは、ぜぇんぶ親まかせでしたぁー。夫の親が決めてしまって私は衣装だけの確認しか残ってませんでしたー。義母は美容師でしたからセンスは良かったんですが。)


「六月・・・くらいになると思うから・・。」

「あら、そう。ジューンブライドじゃない?」

「ああ・・そうやね。」

「ドレスもそこで選べると?」

「うん。たぶんね。」

「なんかして欲しいことがあったらいつでも相談にのるからね。」

二人の間のビミョーな距離感を寂しく思うのは私だけだろうか。

口出さない母を

娘は気がついている。


娘と夫は、とてもよく似ている。
私がのびのびと、幸せに、自由に語る時、二人は笑いながら聞いている。
二人は母を癒してくれる存在だと思う。

でも彼女は、彼女の人生を自分の選択で生きていくべきなんだから。


結婚を祝福していることを
どうしたら伝えられるだろうか。

6月まで、ゆっくり考えよう。

  1. 2009/01/20(火) 23:20:38|
  2. 娘のこと|
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続き・娘からの子離れ

卒業して働き出してからの娘が体調を壊して、
夜になると全身蕁麻疹が出始めたのは夏になる前あたりだった。

「疲れてるんだね。」とは言ったかもしれないが
母の中ではリタイアはあり得なかった。

「高校時代に戻りたい。」
と娘は盛んに言うようになっていた。
わからなくもなかったが、さらりと流していた。

やめる、やめたい、辛い・・・と訴える娘に
「みんなそうなんだよ、はじめは。」と
辛抱強い娘にとことん限界までを試していたのかもしれない。

退職を決意したとき
言葉では自分で決めろといいながら、心では面白くない母の感情は
充分伝わっていたに違いない。
娘の始めての、自己主張だった。
退職届を出して、事務局長にとどめられながら泣いたそうだった。

それからしばらく、蕁麻疹は出続けた。
精神的なもの、と指摘されることを娘はとても嫌がり病院にも行かなかった。
夜の自動車学校だけの、ゆっくりとした生活が一月ほど続いて
娘は自分でレストランのアルバイトを求人広告でみつけて
一人で面接の電話をかけ
一人で採用試験をうけ
そこで、自立を始めていった。

シフトが遅いときは、23時までの勤務で
仕方なく我が家の門限を24時にしてから・・・
娘の行動に、歯止めがきかなくなっていった。
門限過ぎたら、鍵もチェンもして寝てしまう(フリ)母を、恨んだりしただろう。
娘はこんな子であるはずはない、早く目を覚まして本心に立ち返って・・・そんな
自分勝手な筋書きで、親子のシナリオを演じていた。

(年齢19歳から20歳。当然だよなぁ。今、息子はすでに野放し状態だわ。)

それは、
いつも自分がコントロールしていたと思い込んでいた娘の、
その感情をしっかりと見つめてこなかった報い、だと思っている。
わが子を信用できないのは、娘じゃなく私自身の問題だったのに。

そのころ、息子は小学校6年生。次男は1年生。
母と娘の葛藤を、毎晩みながら
幼心に、落ち着かない家だと思っていたかもしれない。

娘がうちを出て、アパートで自活をはじめた。
娘は経済観念もあり、慎重派で、家事も料理もまあそれなりに出来る。
何も心配はなかった。
同時に、我が家はうちを買い引越しをした。

1年が過ぎたころ娘はガリガリに痩せて、(もともと細いが)
うちへ戻ってくることを考え始めたころ・・・

息子は喜び、大賛成をして、姉を迎えようと母の気持ちを動かした。
中学一年の夏。
娘のことは巣立ったものだと思い切り、特に落ち込みもせず
(落ち込んで、暗かったのは父だった。)
帰ってきても、昔の関係には戻ることはなかった。
娘の恋愛はそのまま続いており、母はそれを許すことが出来ないでいた。
ウソをつかない娘の馬鹿正直な生き方は、
母から逃げない、という娘のしんの強いところで
ときおり、下手な生き方だなと思いながらも
娘のそういうところが娘らしい、よいところだと、実は充分知っていた。


母は、息子の部活での活躍と、成長振りに一喜一憂。
成績もグンと伸び、いっそう、学校の仕事にも熱が入り、役員も忙しかった。
部活顧問にへこたれそうに何度もなっていたけれど

娘にしたのと同じように、お母さんもガンバル、あなたも「がんばれ。」
という叱咤激励が教育だと、まだ本気で思っていたんだった。

そして、
ついに優しいこの息子は
この学校側にいた母(女)と、担任先生(女)の矛盾と
部活の顧問(女)の体罰をきっかけに
「大人のいうことはきかない」という怒りが爆発してしまった。

この母が、子供の味方になることは、あのころの子供たちにはきっと期待できなかっただろう。
母は、このような形でしか
本当の親になることが出来なかったのだろう。

娘が、最初に教えてくれた。
人の心を動かすのは、一方的な(愛情という名前をつけた)権威や提示じゃなくて
やさしい同情心や、やさしい言葉なのだということ。

「お母さんはとても心配だから、なんとか返事を返して。」とメールしたとき
あとで娘が言った言葉に愕然とした。

「お母さんが、私を心配してるとは思ったことがなかった。」と・・・
「お母さんはただ、私を言いなりにしようとしているとおもった。」と・・・

愛しているとか
大切だとか

言わなきゃ伝わらないっていう普通のことが、わかってなかった。
多くのことをしゃべってたのは、空振りだ。
鍵閉めたり、罵ったり、ほんと子供みたいに怒りをぶつけていただけ。

だから、息子の反抗には、少し大人に成長していた母は
言葉を選ぶこと、
まず、どういう風に話すかを考えるようになったような気がする。
(息子とは、また、息子との葛藤があったけれど)

今は娘と、一人の成長した女性として、同じ高さの目線になれそうな、予感がする。
娘が時々、母に甘えに帰ってくる週末に
ようやく母の「子離れ」が終わったな、と感じるようになった。




  1. 2009/01/15(木) 20:52:29|
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自立じゃなくて孤立だった

夕べ、何気にNH○をみていて、子供サポート番組に釘づけになった。

ゲストの東ちずるさんや、子供支援ホームのかたや
子供たちの生の声を聴きながら
自分の子育てを、考えた。

私の娘は
母の自慢の子です。

この子が3歳のときに、夫が脳腫瘍で大手術をした。
(手術の前後、初めて両親と離れて2週間、預けられて一度も顔を見なかった)
手術が成功して、
宮崎から東北の病院に、
父と、付き添っていた母に会いにきたとき

母(私)の頭の中は、
昔の面影と変わってしまった父を見て娘がショックを受けるだろう・・・ということよりも

ショックを受けた娘を見たときに
夫がどんなにか絶望するかもしれない、という心配の方が大きかった。

郡山の駅のホームで、付き添い人に連れられてきた3歳8ヶ月の娘を
両腕で抱きしめたとき、

娘がギューっと母にしがみついてきた。
母に抱かれたのではなく、抱きしめてきたのに気づいていてもなお
病室に連れて行く前に
この子に
この幼い子に
父がどんな辛い試練に耐えたのかを
理解させようとさえ、私はしていた。

聞き分けのいい、期待にいつもこたえてくれる、この娘は
病室で緊張して、笑わなかった。
(実際、もし笑いあいの再会があっても、父の顔面の麻痺で、もっとおおきなショックだったと思うが)

宿泊先の庭で、二人きりで
生まれて初めてのユキダルマを作ったとき
娘は、あの天真爛漫な顔で・・・わらった。

それから、息子が生まれるまでの5年間。
3人はトライアングルみたいに、助け合い生きたけれど
娘は、私たちがきっと大好きで
私たちに愛され、仲良く幸せに暮らすための
自分の役目を
きっと一生懸命、頑張ってくれてたんだろうな・・・

貧しいときは、貧しさを楽しみ
無いときは、無くて満足し、
そうして念願だった兄弟が生まれて、娘はほんとに喜んでいた。

中学も
高校も
やっぱり自慢の娘だった。
参観日に行きたくない、とか
センセイに注意を促されるとか
友人関係で問題があって、とか    なんもない。
通知表も、だいたい中の上。母は充分、そんな娘が大好きだった。

男の子からの電話は、取り次ぎたくなかったぐらい・・
コンビニの入り口に、若い男の子がタムロしていたら娘を見せたくないくらい・・・
宝物だった。

娘は、母の喜ぶ顔が見たかったのか、
そういう母が好きだったのか、
母のそばにいつもいた。

このジコチューの母は
そろそろ自立してもらわなきゃあと思い始める頃から

「自分はどう思うの?」
「自分で決めてみたら?」
「自分の人生でしょ、お母さんに聞かないで。」

そんなこと言い出していたんだ。

卒業したら、子育ての大きな一つが終わる、と勝手に考えていた。
下には4年生の息子と就学前の次男。
夫は相変わらず、病弱で
母は、いろんな仕事を抱えていた。

同級生が春休みに入って、心と気持ちの切り替えをする季節に
娘はまだ卒業式も終えないうちに、就職した。

就職先の病院から、医療事務の学校へ通わしてもらい
同じ時期に、夜間の自動車免許を取りに通い始めた。

それはまだ、3月生まれの娘が17歳。
突然、社会に出て
夜は、自動車学校と、別の日は医療事務の学校。

病院の受付では
意地悪な独身女事務員が、いじめてくれて
暗い顔して出社して
暗い顔で、帰ってきた。

母のしたことは、逃がすことじゃなくて
「ガンバレ」と・・・・
お昼にはメールを送り、お弁当を届け、車の送迎をしていた。

どんだけ、母が思いやりの無い、なんもわかってない人間だったかってこと。
数え上げれば
きりがない・・。

あえて、夕べの番組でいわれた中からの、いいわけを言わせてもらえるなら
母もまた、自分が自分の親にしてほしかった事
満たされなかった子供時代の自分の空白を

自分の娘に味あわせないことが、きっと娘を幸せにできる、としんじていたかも知れない。

無関心じゃなった。
放任でもない。
でも、私の思い通りに育てようとしていたんだ。
そして
そのように育つことが、娘の親に対する愛情だったのに。

自分のタイムテーブルで、自立、を期待してしまった。

それは娘にとって自立ではなく

孤立、だった。

そうだよ、捨てられたようなもんだ。がんばってきたのは誰のため??

(東ちずるさんのお母さんと、おなじだ。)

一人で泳ぐ自身も持たせてないのに
ひとりでやってみろと送り出したようなものだった。




  1. 2009/01/11(日) 21:56:46|
  2. 娘のこと|
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思春期のトゲ

中学時代の同級生が、全日制の高校を中退して息子の通信制に編入してきたらしい。
不登校から始まって、昼夜逆転の息子と違って
健全な生活を送っていただろう彼は
日中の暇をつぶすためか
はたまた、新たなクラスメートになった息子と近しくなるためか
昼間、我が家にちょくちょく来るようになった。

どんな事情があったかは知らないが
息子によると
「勉強する気がまったくない」らしい。

普通に2年半も高校に通っていたのだし
学習内容ははるかにすすんでるはずなんだけど
レポートはどうやら息子にたよってる(具体的には言わない)ようだ。

それもまた息子によると
「やる気もまったくない」という。

「中学のときのあんた(と同じ)じゃね。」というと

「おう。」という返事。

「思春期のどこかに壁に突き当たる子がいるし、そうじゃない子もいる。お姉ちゃんなんか、成人してからだったと思うし、あんたはまだ身体の変化も無い思春期だったね。」

息子は、黙ってきいていたが、あの頃は忘れそうなほど遠い昔なんだろうか。
母にとっては、絶対に忘れられないほどの経験だったけれど
息子はもう、終わってしまったコトなんだろう。
母の言葉をとおして、あの頃の自分と向き合うって感じかなぁ。

「なんでか、むちゃくちゃだったよね。」 (なんでか?・・・・ねえ)

(いまだから暴露するが)
「あんたが、リビングで昼間、一人でPCでカチャカチャやってたこと、覚えてる?」
「十代チャットに入っていって、チャット荒らしてた頃の自分を覚えてる?」


「・・・ああ・・(苦笑い)」

息子は見えない相手に言葉のナイフを投げつけながら、やりようの無い怒りをぶつけていた。
理論をぶつけ合い、誰かを攻撃するとか、答えを探すと言うのでもなく
ただただ単語を並べ続け、自分をアピールしていた。

息子は壊れた、と思った。

小さい頃から、人を叩くことも無い、
よく笑わしてくれたり、手伝ってくれたり
プレゼントをくれたり
「皆で食べると、おいしいね。」が口癖だった息子が
このやり場の無い怒りの矛先を、見えない他人にむけていた・・・あの頃。

心のとげ

(と母は表現したけれど)
「とげが痛くて、泣いてる姿だと思ったんだよね、お母さんは。」

息子は黙っていたが、母の横から離れていかなかった。

「痛みは、その人しかわからんし、他人はへたに触(さわ)れんし、
触れないでくれる人のそばにいたい人もいるし、
抜いてほしくてぶつかってくる子も、いるんだよね。」


「黙って、一緒に卒業証書もらったらいいね。だって、何とかしようと思ってるから、通信にきたんだよ。」

息子は、何も言わずに出来上がった夕食をテーブルに運んだ。

幼かった頃のやさしい息子は、大きな図体から時々みえかくれする。20080730131737.jpg




  1. 2009/01/10(土) 00:00:00|
  2. 「学校すかん」長男|
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テレビゲーム、壊れる

新聞を配り終わった息子は、コタツでご飯が炊き上がるのを待っていたが
炊飯タイマーが6時だと知ると、もうソワソワして
母の後ろを行ったりきたり
鍋の蓋をあけたり
回転するレンジを覗いたり・・・・

突然、
「母さん。今の子供がキレルと、簡単に人を殺すじゃん。あれって、カアアーッツと頭に血が上ってマックスになると、コロスってとこに行きつくっちゃろね。なんも考えちょらんよね。」
と言う。
深夜、ひとりで過ごす息子は、何かの情報を得たものと思われる。

朝から、コロシがテーマかよと思いつつ、
婆ちゃんに聞こえないような小声で

「テレビでも、ゲームでも、毎日何回人殺しの場面を見てるか、考えて見たら恐ろしいことよ。」

ゲームという言葉にカチンと来るかとおもいきや

「そうそう・・・それやね。」

えぇ

目線が、少し変わってきて、夢中になるものが移ってしまうと
あれほどゲーム内容は選ぶようにいっても
聞く耳を持たなかったとは思えない変化だ。

この冬休みに
息子はついにゲーム機を壊してしまった。
もともと、もう5年も毎日使っていたものだから寿命かもしれない。
買ってくれとも言わず、DVDプレーヤーだけでいいと言う。

次男にはかわいそうだけど黙って過ごしていると
どうやらリビングでパソコンゲーム。
二人は、持っていたゲームソフトを売り、お金にしてしまった。

そうして
息子はこういうセリフを、母に行った訳だ。

よし。
もう買わないぞ。

息子はお年玉全部で、ドラム部品を注文した。



  1. 2009/01/09(金) 16:48:35|
  2. ドラム息子|
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今年は、捨てる

今年の目標は“簡素化”

とにかく2世帯が一軒家にあつまったせいか
何もかも2つづつあった。
捨てられるものは捨てたが
捨てられないものは、様々な所に(見えないところに)納めた。

そんなもの一つ一つを、まず処分だ。

痩せたら着ようと思ってる服とか・・・
なんかの役に立ちそうだと思いながら、何年も眠ってる布とか毛糸とか
ああ、セーターとか・・・

管理できなくなっているのに
ものが増えすぎた。
うちの中に入らない家具が外にある。
車庫に、車じゃないものは置きたくない。
折りたたみベッドがベランダ。
きっと、私が行動しなきゃ、何百年もあのままだ。

世の中が、なんか複雑になってるのに疲れた。
情報も多すぎる。
情報に取り付かれている時間があったら
ものを捨てよう。

うちの中を公民館みたいにガランドウにいっぺんしたいもんだ。
洗面器は5個も要らない。
布団。シーツ。本。本。本。

それと、あれだ。

寅さんシリーズのビデオテープ。誰が観るん?捨てたらいかんの?
演歌カラオケテープ・・・いらんわ。


今年はシンプルで行こう。

去年もそんなこと考えながら、
ストレスのせいにしながら○kgも、身についてしまった。
これも本気で処分しよう。

自分のものなら、捨てられる。
許可なしに捨てられないから・・・ジレンマ。

でも、今年は知恵を働かせて、捨てるぞ!



  1. 2009/01/04(日) 13:01:55|
  2. 楽我記|
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年の始めの例(ためし)

カラリと晴れた午前中に
布団をたたく音、掃除機の音、ドタンバタンと物音がするので
のぞいてみると息子が
なんと大掃除を始めている。

窓を大きく開放して、風がとおる息子の部屋で
テレビまわりの小物や、なんだかわからないコード類、雑誌やレポートが
それなりに仲間同士で集められていた。
突然、何かをおもってか始まったその大掃除に
次男がニタニタしながら、協力していた。

「お兄ちゃんは?」
と探すと、ベランダで布団や毛布を広げている。

ほっほう。
やる気になるときもある。
そん時は言われなくても、やる。(ただし、年に1,2回)
喘息が出そうになると、たばこ  こっちは止めずにハウスダストに注目するらしい。

次に、玄関で、ガチャガチャする音。
玄関の扉が壊れていたのを、ついに夫が、はずして修理を始めたようだ。
「何とかできる」ときっと思ったんだと思う。
たぶん、ムリだろうなと母は、思う。
なぜならこの手の修理を、夫は完成させたことが・・・
私の記憶には、ない。

でも、なんとかしようと思う心意気は、認めたい。

分解して、ばらした後。
しばらくあれこれしていたが、あきらめて、部品はビニル袋へ。
まあ、想定内。

そっと2階に上がって、息子にちょっと説明する。
「俺がいってみる。」
PS2もビデオデッキも、一度は修理してみた息子はちょっと自信ありげだが
う~ん・・・ムリだと母は思う。
ばらした後の形が、もうないし。
せめて、分解するときには大勢の目が、確認しておくと良い。(笑)

ポカポカの玄関先で
父と、母と、息子と、次男で、ああでもないこうでもないと部品を組み立てていたら
義母が
「そこで誰かが騒ぎよらせんけ?」
と義父に言いながら、手をとられて出てきた。
アップロードファイル「皆でなんかしよっとじゃが。」
  「なんしよっとけ!」  (なぜか怒りモード、否、威張りモード無表情。  )

誰も答えない。
私もなぜか気が乗らない。
両手がふさがってるし、怒られるいわれも無いし、夫だってそばにいるから、私は知~らない。

「なんしよっと!  

夫   「ドアの取っ手が壊れたとよ。」

アップロードファイル   「前から調子が悪かったかいね~。」

夫   「そうよ。」

息子たちは、もくもくと作業をしている。

 「だれけ?犯人は?」

アップロードファイル 「壊れたっちゃき、犯人はおらんわ。」

 「誰かが壊したっちゃが。誰か犯人がおっちゃが。誰ね?」

息子たちと母は、黙って無視した。

義父が、どこかに連れ出す予定だったようで、促して車まで、手を引いていこうとした。

捨て台詞は
「せいぜい頑張んなさい。一日かけて。」 


(気をつけよう。アルツハイマーになっても、イヤミを付け足す身についた習慣は忘れないようだ。)

車が出て行った後で、息子が小声で 「クソばばあ・・・」やった~
次男が 「キャハハハハ わはは 」
息子は、母の気持ちを察したのだろうか。

最近、寒くなってコタツからほとんど動かない義母は
時々、現れると『女帝』ぶりを示す。
特に嫁が、ご機嫌を取らないと癇に障るのか、(昔からそうではあったが)
すべての質問の返事を
自分の息子(夫)ではなく、この母(嫁)の口から聞きたがるのだ。
それは、どんだけ息子を信頼してないか
はたまた嫁のこのうちでの権力が面白くないのか・・・・ってことだ。
で、わかってて、この嫁も
無視しました、はい。

このお正月に、息子の部屋はきれいサッパリになり
玄関の取っ手レバーが無くなった。
鍵には異常なしなので、まあ安心。

婆ちゃんは、こんな新しい記憶はきれいさっぱり、わすれてしまい
ただ、26年前に記憶に深く登録された嫁が、
どうやら最大の要注意人物ってとこだろう。

友人が、いつか
夫や息子は忘れても憎き嫁は最後まで忘れなかった姑の話を・・・・してたよなあ。



  1. 2009/01/02(金) 22:05:27|
  2. 二世帯の暮らし|
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年取りの晩

毎年、年末31日になると、夫の実家に1泊で帰るのが通例となっていて
エプロン持参で帰るものの出番はなく
たいていは、帰り着くと、お風呂。
まだ日の落ちない夕方から食事会が始まる。

“年取り”

母が“年取りの晩”といっていた。外国で言えば“ホームパーティ”とでも言うのだろうか。

結婚して26年のうち
入院や出産やアクシデントを除いてはほとんど、山奥の静かな田舎で過ごしたが
2年前から義父が
「御節だけ贈るから、もう帰らなくてもいい。」といって来た。
老夫婦二人の生活へ大人五人が加わるのは、何かと忙しいだろうとは察したが
義母は、私に手伝わせるということを、頭から当てにしていたことがなく
私や夫がしようとすると、義父にさせるので(実際、義父を“執事”だと言う)
あまり動かないことが、懸命だと思っていた。
事実上の労働は義父がするので
年末はもう動けなくなっていたのだろう。

おそらく2年前あたりから
義母はまったく調理の手順がわからなくなっていたのかもしれない。
それは私たちには知られたくないことだったのだろうか。
去年2月に同居し始めてから家事は一切してないが
時々二人の会話を耳にして、状況はさっしていた。

父は耳が遠くて、声が大きい。
母は自称地獄耳だけど、記憶と判断が、できない。

どうやら、失禁が頻繁になっているようで
父が回数と量に閉口していて
母は立派な理屈を並べて“逆ギレ”していた。

そんな、状況の中で
“年取る夜”がきて
例年通り注文した御節とお料理を届けてくれて食事会が始まった。

義父の挨拶から、引っ越してからの一年間の感謝の言葉と
穏やかなやさしい表情で、「来年も頼みます。」といった。
義母は隣で深々と頭を下げた。

息子は年越しライブで街へでており次男との5人だけ。
記憶にない次男を、ジッと見続けて何も食べようとしない義母に
義父が食事を促す。

テレビからは暗いニュースが流れ、沈黙が続く中

おんぷ
ピンポーン


娘がヒロピとやって来た。

思いがけないお客だけれどとりあえず宴の中へ。
ヒロピの社交性と
娘の対応に、次男は何とか逃れ道を見つけて、ホッとする。

早めに(居心地もわるかったのか)自室へ戻った行った義母は
またいつもの二人だけの世界に返っていった。

義母の語ること、聞くこと、視線・・・
アルツハイマーの進行しているのが解かる。
年末に一度だけ義父に
デイケアや何らかの福祉のお世話になることを、
夫と一緒に促したが
「お母さんは、ムリじゃろ・・・。」
と言った。
「お父さんがお世話できなくなったら、私たちじゃムリやし、お母さんが私にはさせないだろうから、辛い目に遭うのは(他人の世話)お母さんだから・・・。」

「大丈夫じゃが。」  (俺がアトになる?という確信?)

二人だけの部屋からは二人の笑い声もある。
義母の歌声さえ、聞こえる日もあった。
思い切ってボーズ頭にした義父を
「ええらしいじゃろ?」(可愛らしい)と言う義母は
今、どのあたりの記憶に戻ってるのだろうか。

私に話す時、シャンと戻ってしまう義母に
私への超えられない緊張感を感じてしまう。
であるからこそ
私が手出ししない大きな理由が、ある。



夜中に戻ってきた息子が、そのまま寝ないで
2時半には新年号の新聞を配るのに母を起こした。
父と母と弟と
今年は4人で配達ルートを(かつては母のコース)たどった。





  1. 2009/01/01(木) 14:01:04|
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