おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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依存の形

義母の覗きはエスカレートしつつあり
台所の音、冷蔵庫の開け閉め、水道水・・
ちょっとした音でも、待っていたように3センチほど開けて、息を殺して様子を伺っている。
息子の家庭、そこで息子の世話をする私がもっぱらの目標みたいだ。

夫は台所に立つ私と義母の視線をさえぎるように座ってPCに向かっていた。

「なん?」

「なんか用?」

と居たたまれなくなって聞いた息子(夫)の言葉に反応して
スーっと扉を開けて
「気がついちょったね?別に用事はありまっせぇえん~。」とおどけて見せた。
夫は
「用事がないなら覗きなんな!」ときつい口調でPCに向かって言った。
私はドキドキしながらコーヒーメーカーの具合が悪いと、夢中になっているふりをしていた。

“覗き”という言葉を使った事が引き金になったように
義母は「馬鹿が!」
「馬鹿・・・あほ!!あほ!」と叫んだ。
「大学まで誰が出したか!あほ!」
息子が言い返そうとしたとき思わず私は
「お父さん!」と制してしまった。

夫は「閉めて。」と母にいい、数秒後黙って扉を閉めた。
扉の向こうで義母は義父に何を話しているのか・・・
というよりも覗いている妻を制す事が出来ない父は
いったいどうしているんだろう。
その疑問は、最近ずっと頭から離れないでいた。

きっと明日は忘れているのだろう、とは思うものの
正常な私たちは忘れないから大変だ。
息子(夫)は今まで聴いた事も無い母親の汚い言葉と行動に「情けない」と凹むし
私は
あれほど可愛がって止まない一人息子でも
嫁の前で“覗き”を暴露され、プライドを傷つけられた怒りで豹変した事に驚く。


「ただの認知症ではない。」またそう思う。

次の日は家庭訪問で私は休みだったけれど
義母に会うのが怖かったので、いつも出かける時間に
いつものように外出した。
正常人なら引きずっていて当然の、強い感情のままのはずだし
私は一人で受け止められないと思った。
実は殆ど眠れてもいなかった。

午前中会った友人が古いビデオテープを整理してたら見つけたという
何気に話してくれた話で
『母親が我が子を病人にしたくて、病院めぐりをし
病名までつけて、その病気だと認定されるまで医師を捜す・・・という虐待』事件

子供の腕にはケロイド状の火傷跡があり
子供は母親にされたというが
医師は母親の言葉を信じ、子供を精神病だと診断した。
母親はその病名がつくまで執拗に医師を捜し求めた。

「目的はなん?」と憤慨モードで聞く私に
番組の目的は「依存」をとりあげていると教えてくれた。

自己愛からくる依存。
自分(母)に注意を向けさせたいという
母だけが子供の支配者であり、命綱であり、絶対的存在である事を
子供の記憶に埋め込もうとする依存。
なんて病んだ生き物なんだろう、なんて怖い存在なんだろう母親って。

お乳を捜し、口を左右に動かしながら母を求めたあの子供は
もうこの子供ではない、と
母親はいつ切り替えていくのだろう。
それともしないままで密かに老後までも“私の赤ちゃん”を懐かしむのか。



お昼に帰ると
義母が扉を大きく開けて姿をあらわし
何の言葉も無く仁王立ちで・・・・私を直視した。
「あら、お母さん。ご飯食べた~?今日は家庭訪問で、休みもらった。」
と明るく言うと
「なんか音がするから、誰がいるかと思って。」
と低い声で答えた。

やべ。
先生が見えたら出てくるか、覗くか、義父を派遣するか・・・やるな?
ふっと予感したけれど
もうどうでもいいや、とその考えは切り捨てた。

先生が帰られて
次男と息子と3人で残ったお菓子でお茶をしていたら
義母がわざわざ庭から身を乗り出して首を伸ばして部屋の中を伺っている。
外から室内は全く見えないが(実験済み)
室内からは丸見えで
手すりにつかまって上半身を乗り出して
凝視している姿は・・・ちょっと怖いものがある。
息子達は目の前で婆ちゃんの表情まで観察できる。
はっきりいうけどストーカー。

「お母さん、何か用?」
明るく、明るく、聞いてみた。
声はすれども姿は見えぬ・・・きょろきょしていたが、なんと
「あら、見えちょっとけ?」という義母の言葉に
「そうじゃい。向こうからはみゆっとじゃが(見えるんだから)。」と即答したのは
義父だった。
その姿は私たちには見えない。
先生の顔を見なかったとか、何の話をしたのかとか、車の音が聞こえんかったとか
どうしてすぐ帰ったのかとか、どこに住んでるのか、何分位いたのか、
何を聞かれたのか・・・・質問攻めに合いながら
認知症とは違う何かが義母の行動や感情を動かしてると思った。

義父は妻のおかしげな行動に疑問を持ちながらも
制すと逆上し
朝から晩まで繰り返し繰り返し同じ要求を言い通す妻に
全く服従してしまっていた。

愛情かもしれない。
しかし、義父もまた義母の世話を一から十まですることで
自分の生き甲斐や達成感をそこに見出している。

自分たちの衣食住の一切を夫に任せている母が
私の台所に立ち、食器を洗っている姿を見たとき

使おうとして開けた化粧ケースの
私の化粧品が綺麗に並べられているのを見たとき


母が精神的な病気を持ってるに違いないと確信した。



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  1. 2008/04/30(水) 23:55:38|
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次男のたどる息子の歩いた道

次男が中学に入学して2週間目を終えた。
毎朝、起きてきては再度時間割を確認して
低~いテンションで制服を着る。

「あああ、がああん…。あと何日で休みかぁ?」

新聞配達から戻って朝風呂に入り朝食中の息子が
次男を励ますつもりで
「お前ぇ~みんな乗り越えてきちょって・・・!!」
と檄を飛ばすと
母と次男との・・・・・間(ま)汗

「いや、お前、乗り越えてねえし・・。」と次男。

「ダハハハハjumee☆loud laugh1」と兄。

これはサラッと流しとこうか、と思いながら
家族の皆が次男の中学生活を見守ってる感じ。

食卓には順番に、だれかれが座り、出かけていく。
最後に残るのは母と、息子。
(そして、隣室の義父母)

「アイツ、大丈夫かな。・・・・やっぱ俺のせい?」
自分の足跡の影響を、次男が受けることをちょっと気にしてるらしい。

次男が小学一年生に上がった時、兄は六年生で、登校班も同じ。
兄がまだ皆と同じに登校していた頃から、次男に対しては一抹の不安があった。

それは兄も知っていて
学校では注意して見守ってくれてたと思っている。
次男にとってお兄ちゃんは
のびたとドラエモンDORAみたいな関係だった。

中学校では“よいこの暮らし”の変わりの生活ノートを日々記録させられているが
日記欄には何を書こうかと毎晩七転八倒して
のた打ち回っている。

母が息子のノートを持ち出してきて見せると
興味深々で中一時代のお兄ちゃんの日記を読んでいたが
「字、、、へったくそッ!!」
と、ニヤニヤ笑いながらつぶやいていた。
どれどれと覗き込み、書かれている家庭暴露に二度驚く。

今日、学校から帰るとゴキブリを5匹も見つけました。
お母さんは手で取れるからすごいなあと思いました。


ガーンガーン

引っ越す前の4階建て町営アパートはとても古くて(8年住んだ)
アカバネなんとかという小さいごきぶりの王国だった。
我が家ではいたるところにガムテープが置いてあり
「第一発見者はくっ付けて獲れ」というミッションが課されていた。
息子は今でもそうだが、蜘蛛・ゴキブリ・ムカデを捕獲できない。
それで、母をすこぶる尊敬しているわけです。

そんな文章を読み進めながら
息子が、一生懸命頑張っていた中学一年時代が蘇ってきた。
母も、心配なく過ごしていたので
ほとんど目も通してないし、
学校行かなくなってからは、見たくも無かった。

次男は、私たちの部屋でしばらく兄のノートを読みふけっていたが
「参考にならん。」と突然思い立ったように立った。
「兄貴は兄貴。オレは俺。そうだよね。それでいいっちゃから。」という母の言葉を背中にうけて

「あったぼーよ。」と出て行った。

ハンガーにつるしてある次男の制服は
母にとってまだまだ兄の着ていた制服で、テカリやしわさえ中学時代の息子の名残に見えて仕方ない。

息子もまた、それを着ていく弟の姿を複雑な気持ちで見ているのだろうか。

自分の受けた不登校のショックの大きさは
こんなにもか、と呆れたりもして・・・・・。





  1. 2008/04/21(月) 11:57:55|
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里帰り

息子の高校は私の実家のある町で
9時半の始業式に、自宅を朝8時には出発する。
息子と、父と、次男とで久しぶりに1時間半のドライブだった。

認知症の義母と暮らす毎日の中で
同じ症状でいながら一人で暮らす実母の事を思い
早くから気ずいて薬を飲んでいるものの
さぞかし心細いだろうと
そう感じながらも、どうも出来ない現実は重い。

実家と同じ地区に嫁いだ妹は
自閉症児を持ちながら、高1を頭に4人の子育て真っ最中で
夕方、実母を迎えに行き、夕飯を食べさせてから送っていく・・・という日々だ。
そのうえ早朝から10時半まで大型店舗で商品並べの仕事をしている。

息子の用事がすべて終わり妹宅により
最近の様子を聞くと、母親(妹)の24時間を皆が欲しがっているので
あまりのハードさに
妹が体を壊さなければいいが・・・と心配になる。

その足で実家に寄ると
母が身奇麗にして、薄めた目で郵便物を眺めていた。
(服が選べる、文字が読めるんだな・・・と確認)
「(妹)のうちにはここ3日ばかり行ってないとよ~『もういいわ』ってゆうてしもたかい、いかれんとよ。」と言う。
声を震わせながら
「テレビを見よってん、子供がうるさくてよぉ。でん、うるせえとは言えんし、下のお母さんが(2世帯)おかずやら持ってきなっと、気の毒でよぉ。もういいが、いかんわってゆうてしもた。」
妹が見せてくれる韓国ドラマのDVDにはまってしまっているらしい。
(ストーリーについていけるんだな・・・と確認)「(妹)も忙しい、忙しいてゆうかい、機械(DVDプレーヤー)を買うて来て家で見ようかと思うとよ」
(意欲がある。)
人に甘えず生きてきた、長女である母は
人に頼る事が下手で
言い換えれば、感謝を述べる事が出来ない人だ。
ありがとう、助かる、嬉しい、お陰で、そんな言葉をたくさんではなくても
娘に言いさえすれば
妹も少しくらい楽になるだろうに。

話しているうちに
母の目から涙が落ちてくる。
せめて優しい言葉を・・・と思いながらまた、
たまにやってきて“いいとこ取り”をする頼りには出来ないこの娘は
母にとってどんな存在なんだろう。

母の感情のおさまりを待って
車で皆が待ってる事を告げ、また1時間半の道を運転して帰る。
誰も
待ち時間が長かったとか、遅かったとか言わないで居てくれた事が嬉しかった。

うちに着くと留守中
田舎から義父母にお客様があったらしく
義母はお化粧をして、見慣れぬちぐはぐな服を着ていた。
懐かしいふるさとの産物がたくさん届き、嬉々としている。

義父は、母のなんども繰返す質問に、辛抱強く応えていたが
「昼ご飯は食べてない。」と言い張るあげくに
「まさか自分(父)だけ食べたと?」と言い出したので、ついに大きな声で怒られる。
でも、屁のカッパだ。

老人性の物忘れは、忘れているといる自覚があるが
認知症の場合は忘れていることを自覚できないから
相手の責任にしたり、作り話でつじつまを合わせようとするんだって。

夕飯の支度にかかっていると
義母がまた
スーっと戸を開け、私を発見し、
スーッと戸を閉じ、2センチほど開けたまま覗いている。
ジーッ隙間から敵の様子を伺うように、ガーン息を凝らしてみているのが分かる。

いつもは気がつかない振りをして好きなだけ見させているのだけれど
今日は、隙間をこちらからもジーっと、手を止めてみつめてみた。(爆)
実は、超ドPAV近眼で見えないんですが。
4、5mくらいあるかな。
扉の向こうの義母の目とキッチンから見る私の間には、母の息子(つまり夫)がいる。
PCに向かっていて、両サイドに私たち  jumee☆escape2キャー
息子を見ている、という可能性も5%くらいはあり得るが

覗くこたぁないやろうし。
これって・・・・ガチンコ?1秒、2秒、3秒・・・
さあて、どうでる?
義母はややしばらくして(きっと、しまったと思ったに違いないが)


戸を大きく全開して

「ばあ」とグリコのように、両手を高く上げて現われた。

やっぱり幸せな人だ。

里帰りして、実母が不憫な私の
ちょっとした意地悪心は、ひっこんだ。














  1. 2008/04/13(日) 22:41:10|
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次男の入学式

ついにこの日が来た。

仕事の都合をつけた父と、むりやりスカートのファスナーをあげた母と
ぶかぶかの制服を着た次男とで玄関を開けると
カメラを片手に、義父が車庫まえで待っていた。
卒業の日といい、今日といい
義父はタイミングよく次男の節目にあらわれて
つい忘れがちな3回目の(3人目)記念日をシャッターにおさめてくれる。
義母は相変わらず
お気に入りの紺のスモックで遠くから黙って見つめている。

次男は、まだ制服に対する“覚悟”ができていないのか
入学式はまだ制服はいいんじゃないか・・・などと言い出し
大先輩の姉に
「小学校の入学式には、保育園の制服で行ったか?」などと質問を受ける。
なぜか
息子も、この旅立ちには参加したかったらしく
制服をきて、シャツ入れや、慣れないベルト通しにもたもたする弟に
あれこれ世話を焼いていた。

受付をすませ、クラスの確認をして
親子は別々に待機することになる。
その日決める事になるクラス役員の話が飛び交う中で
式のプログラムをながめたり、
何度も繰返される
在校生の「起立!!」「着席!!」「もう一度!!」という
練習風景が、
なんだか冷静に見ていられない。
校歌は3回も歌いなおし・・・・(どこがいけないんだかわからないが)
よく出来たら、褒めたあげたらいいんじゃないかな。

人間なんだから。

誰一人姿勢が崩れず、大きな声を出していて、たいへん立派な事なんだろうに
今まで数年間、数十年間
当たり前のように感じたこの緊張感や場面にさえ
疑問や、違和感や、同情すら感じるのは
母の(父も)体験のせいなんだろう。
息子が、投げ出してしまった中学時代。
この中に、次男が入っていく以外、選択肢ないこと・・・・これが私にとって“兵役”。

式典が進み、
教育委員会からの祝辞を聞きながら・・・?
??
名前に見覚えがあり、メガネを上げ下げしてみて
壇上に居る彼が間違いなく32年前の
高校の同級生だと気が付いた。
教師になったとは聞いた居たけれど、へえ、教育委員会ねえ。

32年前、18歳の長身のアンパンマンだった彼は
今、熊のプーさんみたくなり
なんだ髪型はダチョウ倶楽部のクルリンパだよ。
教育委員会という壁をたちまち低くしてくれた。

来賓退場を待って、声をかけた。
○○先生、と呼ぶべきか、○○君?○○さん?
いろいろ迷って「○○・・・。」と小さく言ったらタイミングよくふりかえり(呼び捨て??)
驚いた顔で見ていたが
「わかります?(旧姓)です。2倍サイズですけど・・・」というと

えええ~!!えぇあのぉ~?ちいさくて可愛かったあの○○さん~?」
(おい!そんなにおどろくこたぁないんじゃないの?あんただってメタボだろはわー;言わない言わない)
(今だって、気は小さくて、か、可愛いわい!きゃー!言わない言わない)

体育館の靴箱前で
黒いスーツのおじさんと、ピンクのスーツのおばさんの会話は
高校時代の教室の中の風景に囲まれたようだった。
故郷から離れて、こんなところで会うなんてねえ。

しかしながら道理をわきまえた?者同士カオナシ
現在の立場に顔を戻して、別れました。


帰りには、シトシト降り始めた雨が
夕方には土砂降りになり
夕食時間には、息子も、次男もそれぞれのベットで眠ってしまっていた。

疲れたんだろうな。
次男には、なぜか、制服が重そうに見えた。
そんなこと考えながら
さっそく与えられたたくさんの提出プリントをさばきながら
息子の中学校のころは、一週間でダンボール1箱にもなるプリントが
子供の部屋に溜まっていたということを思い出した。

自分が学生の頃は、特に何事も思わずに超えてきた行事や事件
楽しく、きらめいていたあの思春期時代を

当然のように息子達も過ごせるものだと、私は思っていた。
今からでも、
まだそう思いたい。







  1. 2008/04/10(木) 01:06:39|
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母親の優先順位

自分自身の中で

これは見過ごすべきではないこと

細心の注意をもってみつめていたい最重要な事ってあると思うんだけど

それは

ある時期

娘だった事もあり

親離れしようとする子への初めての葛藤。

娘の出した結論が優先されてから、私もあきらめと落ち着きを取り戻したかのようにあり

同時に部屋数の多いうちへと心機一転、引越したのもつかのまで

中二の息子が

五月雨もなく、前触れも無く、ある日突然の事故のような不登校を決行。

朝から晩まで

頭がいっぱいで

起きてこない息子の寝息さえ数えてるような

一言、一視線、箸の上げ下ろしまで分析していた日々。

お姉ちゃんばかりにかまけていたのが悪かったか、とか

幼い時をたぐりよせて、自分の失敗ばかりをほじくりだしていた。

ようやく、母も再び、息子の現状というか心情を

大きく受け入れる事が出来るようになった(なったか?)今、

次男が

恐怖中学へと進学するわけだけど

こんな私が

こんな時期に

同居するのは無謀だと、私自身が実は知っている。

夫と義父の話に賛成したのでもなく、反対もしなかった。

大きな流れのように受け入れた。

同居の理由は・・・・介護の介護。経済的節約。そして、感謝。

義父母の経済援助があって私は3人の子供を育ててこれたと思っている。

ここで拒む事は人道にも劣ると私は思った。

それでも、もしも

うまくいかないことがあったら(母との関係で)

きっと私は“そのこと”で頭がいっぱいになり

タダでさえ手を抜いてしまった感のある次男のこの大事な時期に

彼を優先順位の下位においてしまいそうな不安。

子供たちに幸せになって欲しい願いと

試練や障害を乗り越えていく力を身につけて欲しいという願いのゆえに

出来ればハードルの低いものから順番に経験させたいという

神様の領域までも母はコントロールしたがる。

どんな道を歩くかなんて、自分自身でも決められないのに。


なんの力にもならないことだとしても

成長の一場面をしっかり記憶していたいという私のエゴかもしれない。

自分の産んだ子供の過程を、生きて育っていくプロセスを

私だけがしっかり見ていなくてはという・・・・こだわり。

私は「子供」が好きではない、と思う。

「私の子供」が好きなのだろう。

は・・・ガビーン

・・・・あれ

それってお義母さんと同じだ。

どんなに記憶が無くても、孫より夫より、息子の思い出は忘れていない。

優先順位は、我が子。

ホントに

母親というものは・・・・そんなん、ですよ。アップロードファイルアップロードファイル






  1. 2008/04/07(月) 15:44:08|
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義父の家事

近所の公民館から鳴らされる
「遠き山に日は落ちて」で
義父母は夕食を食べ始めるようだ。

17時。

私の退社時間だから到底間に合わないのだけれど
時々、買物もせず、直行で帰ると食事中に間に合う。

義父は一週間分の二人分の献立を共同購入して
うちの前まで運んでもらっているが
その管理ぶりは、主婦顔負けなほど徹底している。

(買ったもの一覧表は私にくれるので、わかっちゃうんです。)

東向きに作った小さな台所で
大抵のものは揃っているようだが
それも私が踏み込んでチェックする必要は無いほど整理整頓の綺麗好き。

そのうえ
気の利いたダジャレも言うし、ユーモアもあり
とても優しい目で、(視力も衰えているらしい)息子や次男を観るので
私は(私かい!)大好きで
全然緊張する事がない。

帰宅した私が夕食の準備を始めると
義母がシュルシュルと引き戸を開けて、座ったまま
「あら?今からご飯ね?おせぇね~。」

と、これが毎日の繰り返しだ。

ガスコンロの回りは、確かに誰かが磨いており
ピッカピッカ
見かねて・・・といった所だろうけど
連日のように光っていれば、これはもう日常仕事として組み込んでくれたらしい。
ありがたいことだ。マジ。ぷぷ


洗濯物も四隅をきっちり揃えてたたんであるし
タオルは綺麗にタコ足の物干しから
洗面所に並べて積み上げられている。

入浴は昼間に済ませるようで
私の居ない時間帯の1階は、子供たちが集まる事も無く
静まり返っており、老夫婦の気楽な時間らしい・・・・ので
時々息子らが台所でラーメンアップロードファイルカチャカチャと作っていると
シュルシュル・・と引き戸が開いて
ばあちゃんが上半身を倒して首を伸ばし(いつものスタイル)
「あら?あんた達は・・・・学校は?」
「今日は春休み。」
「あ~ら、そうけ~、おったっちゃね?ご飯はたべたっけぇ?」(まずご飯食べたかを聞くようだ)
「今、作りよると。」
「ええ・・」    そしてしばし黙ってジィィイイギャルこれはギャル目
見続けてるんだそうだ。

これも、繰り返しらしい。
息子は笑って流せるが、次男はホトホト閉口し、逃げ腰。

義母は引き戸の横に座っていて、
開けると対面式の台所に立つ者と、正面からの出会いとなる。
アーンド、すこぶる耳がいい。
シカーモ、それは自慢の一つで。
料理の手順が分からなくなったのか、2年前から
食事の準備は母から父へと替わったらしい。
忘れっぽい、というよりも(PCでいうと)脳に保存できなくなったのが去年の夏あたりからで
突然、鬼面相になって怒り出すのもそのあたりから激しくなっていったらしい。

先日は父が目を離した間に
レトルトのカレーを沸騰した鍋の中にあけて
解凍されていた鰹のたたきを、加えてbikkuri

“鰹のカレースープ煮”をかき混ぜていたらしく
父はさすがにガッカリしていたようだった。
「もう、もったいなくて啜ってしまったわ~がぁぁん
その話を私たちにしている間、義母はキョトンとしている。
それをした事さえ、忘れてるのか、いないのか。

「台所、いつも綺麗にしてくれて有難う。帰ってきて、これが一番嬉しいわ~。」
「わたし、よ。」と自分の顔を指差す。

「洗濯物、多いから、気が向いた時だけで良いからね。」
「わたしがたたんだとよ。」

庭のブロックを動かしたのも
物干し台を設置したのも、自分の手柄にする。
お義母さんの背側から、義父が笑っている。
私の感謝に頷いている・・・・父は補聴器無しでは通常の会話が聞き取れない。
「感謝の横取り」をされているのを知っているのか
それともあえて愛する妻のポイントアップで良しとしてるのかは分からない。

分かるのは姑が幸せ者だ、という事。

ひとりの妻をとことん世話しようとする舅が立派だという事。

そんな老夫婦を見ながら成長する子供たちが
(今はうっとうしく思えても)
何かを吸収してくれたら
それはそれで、同居も教育のうちだ・・って納得する。

医師には
「お義父さん自身が世話する事を困難に思ってなく、認知症を理解してなく、援助の手が入る事を求めないなら薬を導入する事はできない。」といわれた。

義母のプライドを支え続ける義父の愛情は
ペースメーカーの電池入れ替えの入院期間・・・誰も代行出来る者はいない。
姿が見えないと気づいた母は
ちょっと洗面所に行っていた父を烈火のごとく怒り出す。
そんな父を母から離して、病状とこれからの相談をするのは、たやすくは無い。

         


西都原の花祭りに、車椅子をもって次男も連れて5人で行ってきました。
グッチさんとこみたいにはまだ・・・・3分咲きくらい。



  1. 2008/04/06(日) 17:03:48|
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