おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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教育現場

また、朝から「教育現場」の話題で持ちきりです。
自閉症の子供が2階の倉庫に閉じ込められ、大怪我をして、「自分で話さないから怪我の原因がどこにあるかわからない」と校長が言うらしい。
これはイジメが原因で死んでしまった子が遺書に「イジメ」とかいてないから、イジメがあったとは言えない・・というもう一つのニュースと同じ論理だ。
つまり、こういう事?見てない(見えない)ことは、無かった事。

長男が小2の時、いつも足を掛けたりこずいてくる子を先生に訴えたら、「先生は見てないからわかりません。」と言われ、止めそうに無いから日記に書いて出したら、みんなの前で「こんな日記は書いたらいけない」と読み上げられ、「転校したい」と言っていた事を思い出した。
先生はその年、いろんな健康診断を受けられて、次の年、無事、何の問題もなく健やかに定年を迎えたられたけれど、息子の記憶に残る姿は、残念なものだ。


死ぬほど苦しくて、解決できないと絶望して、命を絶ったという事からは何のメッセージも読む気がない、ということ。
誰と誰が何時何分に、こう言って、こうされて、こんな気持ちになって・・と自分だったら刻銘に記録して、死ぬだろうか。「仕返し」「報復」「イジメを暴く」だけの気持ちで手紙を残すだろうか。
たった一つの命を捨てようとする時に、生きた尊い印こそ、残したいものじゃないだろうか。
悲しかった、辛かった、自分を理解してもらおうとする言葉を残すだけで、大人は分かってあげられるはずだ・・まして教育者は。
若さや幼さで衝動的だったとしても、その命がけの覚悟で書いた手紙の、かかれてない文面を、なんで読もうとはしないのか。否。見ぬふりするのか。

どんな事情があるのかは報道だけでは分からないけれど、
感情的になった両親の姿を、気の毒だと思って見ている・・・反面、その激しい口調で言った心配や励ましが、子供を追い詰めたりした事はなかったのだろうか・・・とふと、思った。
SOSを読めなかった、または伝わらなかった親の振り返りの自問自答は、
学校や教育現場を正すこととは別問題として、この先ずっと両親の宿題になるのかもしれない。

自閉症の子供の話に戻ろう。

私の妹には重度の自閉症児がいて、今6歳。
通常なら、来年春一年生だ。

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  1. 2006/10/31(火) 11:55:36|
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コスモス日和

古墳群のある『西都原公園』にコスモスを見に行きました。061028_1301~0002.jpg
とてもいいお天気でした。
小春日和・・っていうんですか。
人も多かったし、母の大好きな“地鶏”や“焼きイカ”のお店が並ぶ中、誘惑の匂いと戦いながら、写真撮りました。
宮崎の地鶏はケッコーおいしいですよ。

ここは、いろんなイベントが四季おりおりに行われます。
061028_1301~0001.jpg

春は、桜そして菜の花
冬に花火大会があった事もあります。
家族連れや、ご夫婦が、あちこちで写真撮影をしていました。
五穀米アイスやポテトフライ・・次男は食べたい放題です。(花の中、中央に小さく次男)
花を見に行っても、まず出店に気を取られるのってなんだろう。
食いしん坊・・・万歳。

空は青いし

空気も、見通しもいい。

なんたって広々だし・・・

母「バトミントンでも持って来れば良かったね。」
子「ええっ?恥ずかしいかも。」

子「今度来るときは、お弁当持って来ようね。」と、寂しそうに言った。

我家で寝ているヴァンパイアは、こんな秋晴れでも暗いカーテンの中。
深夜の外出はどちらまでだったやら。


 うつうつと独り籠りて待つ日々に風通しよくたかい青空

    白菜と鶏と豆腐とえのきだけ 言わずと知れる夜の献立


  1. 2006/10/29(日) 00:18:47|
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幸せになりたいけど・・

幸せになりたいけど~がんばりたくなあい

最近、息子が鼻歌でよく歌っている。

どうしたんだい へへイ・べイべ~と私もキヨシローを返す。

この歌詞書いた人、すげえよ。
こんな事、皆に言えるなんてオレ尊敬する。
そういって
ここだけ大声で歌っている。

「幸せに、なりたい・・んだけど!・・」
「がんばりたくねえ・・って・・」

味わっている。


今、母はがんばらなくても幸せだなあと思える事がいくつもある。
たぶん、これを失いそうになる時
頑張ってしまうんだと思う。
親だから、「守り」・・の体制だ。

今、息子はまだ、これでいい、これが幸せ・・とは思っていない。
だから、がんばらないといけないんだと思っているかもしれない。
もっともっと満足する人生を手に入れたいと言う欲求があるなら
がんばるのだろうが、
どうなりたい、という目標がないからがんばりようもない。
どうしても欲しい物がないから、働かない。

まだまだ労働して自活しなさいとは言わないが、みんなが働くから働くという選択を、絶対にしそうにない息子も、この先「何かを得る為には何かを引き換えにしなければならない」・・という同価
等価交換の原則(最近息子に教えてもらいました)で
自分の幸せを手にしていくんだ。







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  1. 2006/10/26(木) 10:38:38|
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短歌の世界

  それぞれの歩幅・速さは違えども 誰もが踏み出す勇気の一歩

  その幅や速度競うな 踏み出した自分の意志の一歩こそ誇れ



不登校を通じて、いろんな方にブログを通して出会う事が出来ました。
最近、心を動かされる「短歌の世界」に興味を持っていましたら、
ブログの中にこんな短歌を見つけました。
mogaさんの歌です。

なんだか最近、嬉しい事が続くので、大丈夫かなあ。
更年期の不快感や、感情のコントロールに
短歌をつくってみようかなあ・・・と
・・・・(ご迷惑でしょうか?)
思う、今日この頃です。




  1. 2006/10/25(水) 14:43:34|
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母へのプレゼント

 最近の嬉しい事。

「お母さん、もしかして明日で○歳?」

「もしかせんでも○歳よ。」

「いつも、もう50・・っていうからとっくに50かと思っちょった!」

「まだ、ちょい・・あるね。」

「じゃあ、オレが一曲プレゼントで聞かせようかね。」

息子の部屋で、ドラムの横に正座した。
向かいのソファでは、ペダルまで見えないので・・・もったいない。(笑)

2曲聴いてから、急いで父を呼びに行くと
「僕が行くと、気を使うだろうからいいが。」という。
・・・自分が気を使っている。
ヘンな、父と子の距離。

「いいからいいから!一度、見ながら聴いてみて!」と階段を押し上げた。

「もう一回、さっきのを頼むわ。」

息子は、さっきより、力が入っていて、心が入っていた。
父は呼吸も止めているかのようにスティックの先を見つめている。
途中で次男がドアから顔を覗かせた。

演奏が終わると、母と弟は、やんやの拍手喝采。
父は、うなづきつつ階段をゆっくりと下りていく。

なんだか満足げな息子の顔を横目に見ながら
黙っていても通じるっていう事も
あるにちがいない・・・と思った。

母には2曲。
父には1曲。

生まれて初めて自分の為に演奏してもらった曲は、若返りそうなハードロック。
スペシャルライブだった。





  1. 2006/10/24(火) 11:31:38|
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眠れない夜

バンド仲間“リード君”のうちへ泊まった息子を父と2人で迎えに行った。
虫の声が聞こえる広い庭の奥から
息子と“ボーカル君”と“ベース君”が荷物を抱えて出てきた。

10台は停まれそうな駐車場で、車のライトを消すと辺りは真っ暗。
ネオンもない。自販もない。
(吉幾三かい?)
おうちの明かりと満天の星。

3人を乗せて、最寄の駅までの道を
ライトをハイにして、飛ばして帰った。
流れる曲は、私の選ぶちょっと古い曲。

こちらの親御さんは息子の事を、どう思ったのだろうかとふと頭をよぎった。
3人のメンバーは地元で人気の高校で、健全な普通の高校生だ。
その間、順調だったかはわからないけれど、今、卒業を前にしてどんなにか将来が楽しみな事だろう。
この中にいる息子は外見だけでも大きく違う。
15歳には見えない。もう社会人にも見える。

年下であり、3:1。息子が大きな影響力を持つ事はないと思うのは母だけで、さぞかし、心配もあるだろう。何の情報もない親御さんには、無口で人見知りでうつむきかげんの息子は「何を考えてるか分からない奴」に映らないだろうか。

そう思えるのは、かつての私がそうだったから。
娘を育てている頃、その年頃の若者を、外見で判断していた。
出来るだけ、大変そうな若者には関わりたくなかった。
たむろしているコンビニの若者に、決して温かい感情は持てなかった。

今、その同じ「秤」で、自分も量られているんだ。

息子は乱れた髪に眠そうな顔、表情から夕べは一睡もしてないことがわかる。
以前にもかいたが、息子は外泊しても「眠る」ことはないようだ。
神経質なとこ、気を使うとこ、考え過ぎ、が無防備になれないのだろう。

後部座席の話から、オリジナル曲を皆で作り始めた事、誰かのいびきが息子の「拷問」だったとか小声で話し、笑っている。
父がいるから、ちょっと緊張したかも。

2人を駅で降ろし、うちに帰った息子はカレーを大盛りで食べて、そのまま爆睡したのか静まり返っていた。

深夜、家族が寝静まってから、お風呂に入ったようだが
「母さん・・・睡眠不足と、疲れで喘息がでた。どうしたら楽になる?」と言う。

発作で眠れなかった幼かった息子と、隣に並べた布団から背をさすってウトウトしていた、そんな遠い昔を思い出した。
何年ぶりの喘息の発作だろう、こんな季節の変わり目には、必ず、要注意だったんだ。

昼間、女友達がライブのチケットを受け取りに尋ねて来た事、
明日の高校の体育祭を欠席する事など、

話そうと思っていた事があったが「明日にしよう。」と打ち消した。


  1. 2006/10/22(日) 01:18:53|
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息子の世界

バンドのメンバーの高校での定期試験も終わり
スタジオで練習なんだそうな。
初スタジオ音合わせ・・ってやつで息子は楽しみにしていた。

その帰りには、メンバーの家でお泊り練習計画が持ち上がり、あれこれと私の予定を聞いてくる。
母が専属運転手できるうちは協力してあげる気は充分にある。

彼らの高校に一番近い我家が、時々待ち合わせや集合場所になり、私としてもスッピンでうだうだやってられなくなって、・・・・いい様な?

彼らが楽器を抱えて、ちょっと崩した制服でぞろぞろ息子の部屋に上がっていく。
あいさつも・・・いい。
にわかジャニーズ事務所。


彼らが息子の事情をどこまで知ってるかは知らないが
どうも、どうでもいいらしい。
誰も聞かないし、息子も言わないようだ。
ただ、音楽を一緒にやって、晴れ舞台を成功させる為に
おなじ目的があって、そこに居るみたいだ。
2歳ちがうと、ずいぶん大人なんだなあ。

彼らは、卒業後の自分達をしっかり見つめているのかなあ。
進路は決まってるのだろうか。
おばさんは、すぐそうやって、背景や事情を集めて、着色してファイリングするよなあ。

メンバーの一人の学校謹慎がようやく解除されたんだって。
そういう事は、気にならない。
謹慎もいい経験だ、と思える。
学校が、学校こない罰を与えられるのは高校だからだわ・・なんて納得したり。(学校に行きたい子には、効果的なのか?ホントに?)
皆がそろってのライブを成功させる為に、ホームページの掲示板で、お互いに発破かけあっているらしい。
案外、そういうことが自分を立ち直らせるモンではないかなあ。

出会いがチャンスになるなら
この出会いを、誰に感謝しよう。
また、がっかりする日がくるのかしら・・・と
用心深くなるもうひとりの私。
いやいや、こうなって欲しいという姿が無いのだから
今の息子を喜んであげればいい、と思ったり。


スタジオ帰りに、皆を夕暮れの駅まで送り、
息子と2人になった時、
あの高校・・行けばよかったなあとつぶやいた。

行くもよし。
止めるもよし。
悔やむもよし。

たっぷりと時間はある。

大人の扉を開けるもよし。
入り口でオロオロするのもよし。

・・・・・・

ライブを見に行こうという友達との計画を長女にとどめられ
すっかり行くつもりの面々を思い浮かべながら、この度は
専属運転手に徹するべきか・・・と唇をかみ締めている。

優しい息子も、苦笑いで否定はせず。
ブルータス・・・お前も・・か。


  1. 2006/10/20(金) 11:34:48|
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まだまだ生傷

次男の参観日に行ったら
また、息子の事を尋ねられた。
「うちで、元気にしてますか?」と。

きっと母が元気はつらつに見えて、もう乗り越えたか
悟りを開いたか、解決でもしたと思えたのだろう。

さして息子同士も親しくはなく、親の交流もほとんどない方だが
たった2クラスで6年間もつきあえば、誰が離婚したとか、誰が別居中だとか、嫌でも耳には入ってくる。
まして、息子の不登校とその後の事件は案外、親しい方より、チョット距離のある言いたい放題の他人の中で、脱疽のように広がるもんだろう。

通信制に行き始めた事。
ドラムに熱中している事。・・・知っていても驚かないが、
「あの頃」を分析して、きっと励まそうとして、そう善意で、言われた言葉は、生傷にふれる。

「よっぽど、たまっていたものがあったんだねえ。」
「爆発させるとこがなかったから、そこで一気に爆発したんでしょ。」

返事のしようもない。

「熱中できるものが見つかってよかったですね。」

どうして、そそくさと立ち去らなかったのか。

「息子さんが登校してきても、子供達が誰一人、依然と変わらないように接したのが、私はすごいなあ・・って思ってたんですよ。」

そこに着目して、感謝しろ?と言う事か。
回りの暖かい友情があって、息子の今がある、と言いたいのか。

被害妄想か、自己憐憫かわからないが
まだまだかさぶたのない生傷で、
ちょっと触れられても、痛い。

「なにがあっても、私が痩せないってことがはっきり分かりました。」

といって、笑いながら離れていく時に
私も、まだまだ未熟者だなあと思いながら車に向かった。




  1. 2006/10/19(木) 09:56:06|
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息子の「時差」と母の「ボケ」

息子は、昼ごろ起きてきて
洗い立ての真っ白い(青白い?)顔で、現われた。
新聞配達に出て行くときにお風呂に入ろうとしていたから、寝たのは今朝4時過ぎのはず。
睡眠時間としては約8時間未満だ。

それなのに、しくじった顔をしている。
朝は、気の毒そうに現われるか、または開き直ったかのようにふてくされて威張って“メシ!”を要求するか。
いまだ、どっかに昼まで寝ている事をイケナイとか思うんだろうか。
母がうちに居ると、なんだかそういう気持ちになるのか。
自分でも、疲れる性格だろうなあ。

息子の部屋は風光明媚、日当り抜群の東向き。
そして、当然、暑い。
午前中だって、しんから眠れないだろう。
8時間で起きてくれば上等だと声をかけた。
まだ本当は眠りたいが、頑張ったんだと言う。

レポートもすべてやり終えて、書道の作品もすったもんだで書き終えて、提出日に無事投函。
この調子・・・って自分でも思ってるのか、“チョイ無理”位ならやろうとしてるのかもしれない。

この頃、深夜こっそりビールも飲まなくなって、牛乳を飲んで居るようだ。日光浴と称して庭で犬と遊んだり。眠れる方法を、一人で模索しているみたいだ。
どうしたいか言ってくるまで、黙って牛乳を常時用意するだけでいようと思っていたが、どうなんだろうか・・
ここは、医者に相談するいい時期かもしれない。
(思案中です)



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  1. 2006/10/18(水) 11:15:23|
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息子たちとカレーパン

朝、登校時に、次男と約束していたカレーパンを
3時頃から作り始めた。

あつあつのジュージーなやつ・・というリクエストの為、伊東家の裏技で入手したレシピを冷蔵庫に貼り、いざ。

まあまあの出来上がりどきに、グッドタイミングの次男が帰宅しておやつタイム。


2時過ぎに起きてきて、「朝、起きたけどナンデか身体が動かん。携帯なっても手が動かせん。」とつぶやく息子が目を輝かせ、
「オレ様にも作らせろ・・・!」と石鹸で手を洗い始めた。
第二ラウンドの生地を作り、こねさせ、(発酵無しで簡単)
分割、伸ばし、カレー具を包み、溶き卵、パン粉。
そして、油で揚げる。今日は作る人。
          HI350058.jpg

途中で、
「火曜日の提出レポートを今夜中にするから、夕方のドラムは水曜日に変えてもらおうかな。」と言う。
へ?ドラムレッスンを勉強に・・・蛙

どうした?



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  1. 2006/10/16(月) 17:41:28|
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弟の髪型

先日の事、次男の髪があまりにも伸びすぎているのに気がついた。
「ボクだってお洒落したいと!!」と言う割には
裏返しのTシャツでも、もうこのままでいいっていうし
髪も自分から切りたいなんて言ってきた記憶は無い。

思いついたように車に乗せて、とにかく近場の床屋に駆けつけた。
いつものお店がオヤスミで、しかたなく初めての床屋に飛び込む。

黙って、なすがままの次男。

不安になったのは母であった。「あの、坊ちゃん刈りで。あの、長めで・・」

この道一筋○十年、みたいな店主と
カミソリを研ぎ始めた老婦人と
ホーキを持って、直立して兵隊のように眺めている・・む、息子?
「はい。長めで。」

私の待合室から次男の姿はみえない。
あの子なら、どうなってもきっと、大丈夫・・と根拠も無い気休めを自分に言い聞かせて、店内を見回す。

『バリカン堂』

この店の名前。外には無かったよなあ、確か。
こりゃあ長男なら暴れまくるぞ~とか思いながら覗いてみると
てっぺんだけ残して、後頭部と左右はあっという間にぞりぞり状態だった。
鏡越しに、次男が、私をじっと見ていた。



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  1. 2006/10/15(日) 15:44:58|
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学校に行かないという選択

また、子供がいじめで自殺したと言うニュース。
お父様がお葬式で語られた言葉が心を打つ。

「子供が言いたかった事」
きっと親はもう聞くこともない子供の声を
一つ一つの集めた出来事をたどりながら、繋いでいくのだろう。
怒りや悲しみや、いや憎しみや恨み、殺意さえ感じることだってあるかもしれない。

昔、まだ一人娘しかいない頃
「いじめられて、自殺されるくらい苦しいのなら、学校なんか行かなくてもいいと私は子供に言う。」と言っていた。

学校行かなくてもいい・・なんて簡単に言えたけれど、命が一番大切だということは誰でも知ってること。


自分の命さえ一番じゃなかった時代があった。愛する家族の為に国に捧げた命もあった。
生きること・・の前には学校の優先順位は2番目でも3番目。
そうして学んだはずの大人たちが、教育者が
命がなにより大切と、教え続けた日本じゃないのか。

今の時代、
ある子供にとって学校に行かないという選択は、「死」と等しいくらい絶望の選択なのかもしれない。
学校という世界が「絶対にいなければならない」所でそこで、はじかれたら生きていけないほどの場所なのかもしれない。

集中的にいじめられるのも辛い。
存在を無視されるように居場所がないのも辛い。



なんとか、
自分の命や心の叫びを無視しないで、NOと表現できる子供たちがいる。そして、「学校に行かないという選択」をした。
それはとっても不安な道だけれど、「命」の選択をしたんだ。

大人はもっともっと「学校ってなんだ」と考えるべきなんじゃないだろうか。

学校で生きるしかないから、学校で自己存在を確認しようとしている。
いじめる子だって、大人社会のやり方を学んで、真似てるに過ぎない。

「過ぎない」けれど、人殺しであることを忘れてはいけない。
その人が居なくなって、自分も失ったものがあることに気付いて欲しい。


息子が不登校になって
不登校の現実に泣いたけれど
今、またあの頃のように
「死のうと思うくらい辛いなら、学校なんかいかなくていい」と言いたい。

義務教育を受ける権利を与えてくれたこの国に、私は感謝しているが
教育をどのように受けるかという選択肢を、これからは与えて欲しい、と思う。
「どうしても行かないって言う子を、なにが何でも行かせる様に動かさなきゃダメなんでしょうか。」
3年生に上がった頃、尋ねてきた担任にいってみた。
学校がすべてでは無いでしょうが、今しか仲間と経験できない事を、
経験させてやりたいんですよ。」という言葉に、なんだかほっとした。

息子は、そんな大きな気持ちでいてくれた先生でも、相変わらず、嫌いな先生担当の授業を受けず、パラパラと登校し、行事には参加せずに、自分で決めた「中学はもういい」という意思で大人の乗せた列車から降りてしまった。

自暴自棄になって、外見を変えてしまい、禁止事項を次々破り
身体を傷つけることさえやってみせたあの頃を振り返り

イジメではないけれど
疲れ果ててしまった息子が

学校を拒否するという事は、
子供にとって命がけの選択だったと言う事を
肝に命じたい。


  1. 2006/10/14(土) 21:45:08|
  2. 楽我記|
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子供の数だけ「お産」がある・・次男編

長女中2、長男5歳の時、次男が産まれた。

はっきりいって私たちの予定にはなかったが、嬉しいタイミングだった。こんなにひとりひとり年が離れては大変かなあ・・とは思ったが。

まあ、このビックニュースをどのように発表するかを夫婦で楽しんた。
「え?ウソ?ウソやろ?えええええウソや!!ほんと!」
「やったあ
期待通りの反応で、男か女かで姉弟がよくもめたものだった。

38歳の母は、仕事や役員や家事で毎日忙しくて、特に妊娠を意識しないまま時が流れた。3人目、4人目はこうなるのだろうか。勝手に育っていくお腹に、ホントに産まれるんだわ~と他人事みたいだった。




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  1. 2006/10/12(木) 15:04:42|
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子供の数だけ「お産」がある・・長男編

息子は、きっとお腹の中から、姉と話す会話を聞いていたと思う。
そして、姉中心の楽しい我家に産まれる前から、蹴って蹴って蹴り飛ばして、自分の存在をアピールしていた。

2度目のお産は予定日より早まる・・と聞いていたが、予定日が来ても音沙汰はなし。
微弱陣痛は、夜、休む前には止まり、私はあきらめて秒針付きの時計を置いて眠る。
いつまでも昼間は、お腹の中で、なにやらぐだぐだと動いていた。


おまけにエコーから、頭を測定した医師には
「かなり(頭が)大きいですね。これは、万一のこと(帝王切開)も考えておいた方がいいですね。」とか・・


さすがに2週間も遅れると、待ちわびる回りに気の毒になってくる。
姑たちや、親戚、友人からは、まだかまだかの電話。
外出もできず、予定も立たず、不安は募るばかり。
歩くようになってから、出てくる気じゃないかと冷やかされた。

そして、
それは突然、激痛と共に始まった。

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  1. 2006/10/12(木) 13:45:38|
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子供の数だけ「お産」がある・・長女編

多胎でない限り、子供の数だけ「お産」がある。
始まりから、産声まで
振り返ってみれば、その後の生き方を暗示している。

長女の時、26歳。
新婚時代からの、しっかりした計画出産だった。
主婦向けのマニュアル本を数冊抱えて、日記もつけた。
胎教の為にと音楽も、編み物も、散歩も、話しかけも、やった。
何ヶ月目に入り今、どんな状態か、医師の指示から、ちょっとした変化からすべて管理した。
おしるしが予定日の4日後の夕食時にあり、コンスタントに痛みが増していった。

3月30日・・今からだと31日生まれ。4月2日までなんとかならないかと余裕の心配をしたが、なにせマニュアルの通りに進んでくれた。

ひーひー・・ふーぅ、うん。
ひーひー・・ふーぅ、うん。

忘れもしないこの呼吸。

お腹や腰をさすろうとするうっとうしい一切の手を払いのけて、ベッドのパイプを握り締めた。子宮口が開くまでの苦しみは、この子だけで済んだ事は、神様に感謝している。

産まれたときは、E.Tかと思った。



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  1. 2006/10/12(木) 11:55:23|
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耳をすませば

ドラムすこ


ひっくりかえった毎日の中で、息子がドラムを習い始めて、やがて2年になろうとする。
制服でレッスンに行く事なんてほとんどなかった。
学校行ってくたくたになって、帰宅後にドラムに行くことは考えられなかった。
一日に一つの予定をこなすのがやっと。今の私と同じだ。こんな貴重な瞬間を携帯に残していたんだなあ(本人許可済)
髪も一時、黒く戻していた頃だった。

初めは、レッスンから帰ると枕をスティックでたたいていた。
考えながら刻んでいる感じだった。
やがて、足の練習が始まるまでには、先生が新しいドラムを買うというので今までのものを格安で譲ってくれた。
(写真は先生のお宅でのドラムレッスン中)。

我家の階下にいると、ヘッドフォンをしているとはいえ、ドンドンとペダルを踏む音が聞こえる。
静かに独り、部屋にいて、何時間もどうして過ごしているのかわからずにいた頃、この音が聞こえると私は安心した。
息子が今、打ち込めるものがあるのなら、結果的に3日ボーズになっても構わないと思っていた。



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  1. 2006/10/10(火) 14:37:55|
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初めの一歩

市の文化センターで
「生活体験発表と文化の集い」があった。
特別授業としての高校からの参加で、日曜日に送っていった。

自分の希望する3教科の出席ハンコ2つづつもらえるらしい。
つまり、スクーリングに参加したことになるので、是非いくほうがいい、と教えてくれた方がいた。


駐車場で見知らぬ顔が、次々と集合場所に集まってくるのをながめながら、この大勢の中、たった一人でさみしかろうと、ふと思う。
しばらくまわりの服装をみて、息子も長袖シャツをはおり、
「行ってくる。」と言って車を降りた。
後姿を見送りながら不安を口にすると、夫が
「今、始まったばかり。社会勉強をしに来てるんだから・・初めての一歩と思えばいい。」と言う。

私が子離れしてないのかなあ。
最近、メンタル的にメロメロになってるし、怖がる。
車の運転がめんどうになって夫を頼りたがる。
夫の運転はもっと不安で、心臓と血圧に悪い。

3:30終了時にまた次男も一緒に3人で迎えに行った。
迎えの車が並ぶなか、息子が現われるまでに、たくさんの若者を川の流れのように見ていた。

赤い髪、金髪。エクステンション、着け爪。ミニスカートにチェーン。
黒ぶち眼鏡にリュックもいた。
いろんな年代の、いろんな個性があり、それぞれの人が、自分の道さがしてるんだろうなあ、と思った。
明るい太陽の陽射しに照らされて、わいわいがやがやと流れていく。

車に戻ってきた息子が
案の定「疲れた~超眠い!」と悲鳴をあげた。
「実は夕べ一睡もしてないっちゃが。」
「じゃあ、帰ってねる?」と聞くと
「いや、寝らん。ドラム叩きてえっちゃ。」
そして、また自分のファイルからCDを選んでステレオのボリュウムをあげる。
しばらくして、
「ヤンキーばかりやったね。」
「眼鏡とリュックは仲間みたいに固まって同じトコに集まるっちゃ。」
「体験発表で、高校になってグレて、いろいろあって、通信制を選んだ人の話があったわ~。」
断片的に、ポツリポツリ話す。
たくさんの経験が話されたはずだが、息子の心にはその経験が印象的だったのだろうか。
でも、質問攻めにはしないでおこう。

自宅近くになると、なぜか元気になっていった。
「オレ、友達できるやろうか。」
弱音に聞こえるがそうではない。
不安を口に出せるのはたいして心配していないからだ。
息子は、これはだめだと結論すると、口には出さないで動かなくなる。
人の説得やその場しのぎの励ましには
「だまされない。大人の言う事はきかない。」を強行する頑固者である。
出来るやろうか・・とは、出来そうな、いい予感だと思う。
責められる目がない。威圧的な指導者がいない。
皆が、適度に無関心で、自由に自分を表現している。
どんな事情があるのかなんて、もうどうでもいいくらいの「個」の集合だ。




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  1. 2006/10/09(月) 09:54:55|
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息子の客

息子が学校に行かなくなってから、息子の客が来るようになった。

はじめの一ヶ月(中2・10~11月)の来客は、一緒に“ボーズ頭”にされたテニスのパートナーだった。彼は父と妹と住んでおり、父方の祖母の家とを行ったり来たりしていた。同じ町内にある母のアパートへは出入りを禁止され、会うことを許されない母が遠出の試合を見にくるので、部活動は彼にとって切ない願いの叶う時間だったと思う。

彼は、部活が終わると毎日、やってきた。自宅と反対方向である。
息子が中体連を直前ですっぽかしたのだから、彼はペア変更を余儀なくされて大変迷惑をこうむったはずだ。
そんな申し訳なさもあり、母としては夕食の時間でもあったので、当時は部屋にこもっていた息子の分と一緒に、部屋に食事を運んであげたりもした。

貸した私服(息子は一番良いと思う物を貸すようで)を返さず祭りに着てきたとか、部室におきざりの息子のユニフォームを、自由に着てるとかいう情報が携帯メールで入る。休みの日の部活帰りには、うちが皆留守でも、息子の部屋で待っていたり、息子が眉を剃ると、真似て剃る。ピアスを通販で買おうとすると、一緒に買う。

毎夜部屋に来るので、一人になる時間が失われていった息子がイライラしはじめた。。


彼は、家に帰っても、夕食の支度はない、だれもいない部屋に小学生の妹と2人。そんな彼が、うちで学校帰りに食事をすれば妹は一人っきりだった。だんだん、心配になってきた。親切にする事も「責任」を感じるようになった。
そして、我家もまた学校に行かない息子と過ごすべき時間が失われる焦り。
父と接する時間は全くとれなかった。

「連絡してから来い」とか「貸した物はすぐ返せ」とか言えない息子がついに、迎え入れなくなり、玄関にもでなくなる。
息子の気持ちを察してか、ある時ピッタリとこなくなった。


その後、入れ替わりに、小学校時代の友人が近所に越してきて、タバコ、アダルト本、エアガン、ついにはコンドームにいたるまで持ち込んできた。
彼はまた、あちこち外泊をしては、友の家人にいさめられては戻り、あちこち転々としていたらしい。
息子は好奇心を刺激する奔放な性格の彼を、「面白い奴」と言っていた。

母としては、いよいよ悪を帯びてくる息子への“心配”やら“怒り”やら、一歩も外出しない息子の部屋へせっせと小物を運んでくる渡り鳥のような友人への、否、育児放棄しているかのようなその母親への憤りから、息子に対して、友人批判をはじめた。

「親の留守を見計らって携帯で呼び込む事」は息子。
「履物を、もってあがる事(証拠隠滅作戦)」はだれ?
「勝手に冷蔵庫から昼間、ビールを飲む事」は息子。
「タバコの吸殻を2階から投げ捨てる事」はだれ?
「許可なく泊まらせない事」隣の部屋には女の子(姉)がいる。
「盗んだ自販機のステッカーをうちに持ってること」

彼は、息子を登校させようと誘っていたようだった。
しかも、条件が我家に泊まって、一緒に行こうというらしかった。
息子もそれを望んでいるのかと迷ったが、今考えると、息子の不登校は誰かと行けば解決することではなかったから、この条件に屈さなかったのは正しかったと思う。


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  1. 2006/10/08(日) 07:06:01|
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一雨に傘一本

息子は雨降りに傘を持っていくと
必ず、傘の骨を数本折って帰ってきた。
その時は何も言わないので気づかないのだが
(ましてこの母も傘など干して管理するなんて事しませんから)

次の雨降りの朝、玄関でパッと傘を開くと傘のシルエットが傘じゃない。
たしか、これは小学1年から始まった。
仕方なく、母の古傘で登校。
新しい傘を準備しておいてあげるが、雨が連日続く事はなく、傘の出番はしばらくはない。
次の雨降りに、新しい傘で嬉しそうに登校する。ちなみに母の古傘を確認すると案の定、骨折。
そして、帰宅し傘は「傘立て」へ直行。
次の雨降りの朝、またどこかしらゆがんだ傘と対面する。

お気に入りの傘なら大事にするのかと思う私は「ポケ○ンキャラクター」つきを買ってみたりもした。アニメキャラクター嫌いの私の苦肉の選択。これも一日か二日で敗れ傘だった。
物を大切に使う姉が、相当言い聞かせていた。
「振り回してるのを目撃したよ。」
「杖にして歩いてるんじゃないの?!」

一雨に傘一本。
息子には家族も大事な傘を貸さない。
しかし登校するとき、土砂降りの中を濡れて行かせる訳にもいかず、息子の傘は使い捨ての透明傘か、500円前後の傘になる。



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  1. 2006/10/04(水) 20:18:01|
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入学式

夫の運転で、片道1時間30分の道程
またまた高校の制服をひっぱりだした息子の
「入学式」に出席いたしました。

駐車場に着いたのは、一番。
クラス名簿を見たのは二番。どうでもいいんですが。

息子と同期に通信制に入学したのは59名。
77歳の男性と66歳の女性がいました。

後期に入学する子たちはほとんどが一度は高校に行った子達ばかり。
なんとなく返事の声も小さく、寂しそうに見えた。
子供達のLHRの間、保護者説明会がある。
「保護者会会長」がご自分の体験談(現在進行中)も話してくださり、後部座席からはお母さん方のすすり泣く声がずっと聞こえた。
かくいう私も、不登校の子と母、父親の気持ち・・など身につまされて涙が出た。

「この学校に来て本当に良かった。先生方にサポートしていただいた。」
「お母さん方、もう大丈夫です。」
「いろんな葛藤や悩みや、心配を抱えてこられた事でしょう。」

その方の言葉から、経験者しかわからない深い気使いを感じた。
良い出会いがあり、お子さんが前向きになっていかれて本当に嬉しそうでしたし、そんな経験を話してくださった事、とってもありがたいと思った。
でも、まだ、どこかで、
先生は信じない、先生という職業を疑う、すでに一歩引いている私がいるのも本当です。

スクーリングも午後から受けられるというのに
息子は
「今日のところは帰りたい。」と言って車に乗り込んできた。
「疲れた。」を連発する。
「せっかく来たのに・・」という親の気持ちと空気がきっと伝わっていた。私の顔にも出たかもしれない。

昼食をとるために、あれこれ話していると、またいつものように
「オレは車で待つから、2人で行ってきて。」と水をさす。
先回の面接の時とは、言い方がちと違うと気づく。
今回は父もいる。ちょっと強気で
「じゃ、そうさせてもらおうかな。お父さんと食べるわ。」と言うと
小さく
「親と飯なんか食えるか・・・恥ずかしい。」と言うのがきこえた。ぬぬぬっ!
夫には聞こえなかったようで、幸い。

しばらく走ってから、息子の大好きな店に決めた。
楽しそうに嬉しそうに車を降り、ドアに向かって歩き出すと
にやにや笑いながら、着いてくる息子がドアに映る。
(空腹には弱い奴め)


いらついたり、疲れたりすると、そうやって
ちょっと八つ当たりする?
親を刺激してみたりする?もしかして仕返しか?
私が「のこったのこった!」と四つに組んじゃったら
また、気まずい一日になってたんだ。

お腹一杯になったら、息子は帰り道、
大好きなエルレガーデンのCDから、私の好きな曲を選曲し、
首でリズムを刻む。


新しい学校生活のはじまりに
私は、後部座席から
[before] [after]な2人の頭(髪型)をながめながら

めでたしめでたし

と自宅までしばし、居眠り。

怒りを征服した事で今日は花丸な入学式だった。






  1. 2006/10/01(日) 22:05:59|
  2. 楽我記|
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