おかえりなさい  

泣きたくなったらおうちへ帰ろう。

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父の寂しさ

老人施設に入所した日、
父、義姉、夫と私、揃って車椅子の母と一緒に施設内を歩いた。

父は肺の調子も悪く、はぁはぁと息切れる。

一通りの事務手続きのあと、部屋にもどると、
殺風景なベッドに腰掛けてた母が
無表情でみんなを見た。

悲しみも
怒りも
不安も
悟りも

なにも見えない

しばらく父と二人きりにしようと
廊下で待っていたが
夫もまた無言
私も無言

出てきた父が
「今日は泊まらんで、帰るわ。」という母に
「今日は泊まって、また明日、来るが。」と答えた、という。

車に乗り込んで
施設を出ようとするときに
父が
窓に顔をむけて、涙を隠すように、拭いた。

「あっこにいる方が、幸せじゃき。」とポツン。



その後、ちょくちょく面会にいっていた父が
3週間を過ぎると
「俺のことがもう、わからんみたいで、『兄貴』じゃて何度も言うわ。」

寂しそうに話した。

息子の面会は名前を呼んで、手を振ったのに
「ご飯は食べた?」と心配して
「仕事の帰りか」と何度も尋ねるのに

一番みじかな大切な人が
最初に消されていくのだろうか

一番心配な人は
忘れないんだって

夫じゃなく、息子か

誰かが「男性は奥さんのことは、最後までわかるらしい」と言った。

女性は、旦那さんより息子・・・

それもまたわかるような気がした。




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  1. 2012/02/14(火) 14:03:24|
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押し詰まった年末

義母を施設に入所させるために、すぐには入所できないのを想定して、義父は申請を出した。
100人待ちという話だった。

事情を知っておられてか、
なんと順番をグググ~っとはやめてくださり
今月末か1月には、入所できると連絡が来た。
早めに、と希望していたらしい。

3月には義父もペースメーカーの交換で入院予定だ。
その数週間「だけ」を
施設でお願いしたいのが、父の本心だろう。

3年前の夏が、入院予定で同居したのだったが
電池の消費が少なく、7年消費のペースメーカーを10年もたした。

その間、義母に認知症が進行し、父の介護なしではいられなくなった。

義父は「まだ、入所は早すぎる。」と難色を示す。
「可哀想」でもあり「申し訳なく」もある。
「話し相手がいなくなるかもしれない」という寂しさ。充分にわかる。
入所すると進行する・・とか
歩かなくなって足が弱る・・・とか、いろいろと心配する。

義父は母に本当のことを話した、といった。

けんかする度に
「もう老人ホームにいってもらわにゃならん!!」という父に
「いいよ。行くよ。」と反論していた母が

「そんげなとこには行かん。」と言った。
母の身体の中では、密かに、自覚症状の無い腫瘍が進行している。

今日からは母はショートステイ3泊4日にはいり
その施設が、入所する予定の場所。
木曜日まで父は一人で過ごす。

夜中に起されることも、食事の世話も
おむつ交換も
「徘徊」のお付き合いの一日2回のドライブも
エンドレスな質問と壊れた感情会話からも
父は解放される。

父が一人になると

今度は私が父の心配をして気が休まらなくなる。
リビングのドア一枚を隔てて
たった一人で置いている、悪いことをしているような罪悪感。
母がいないと父は
「何もしない」でいると言う。
何もしなくなった父のお世話こそが
私に回ってくる介護なのかもしれない。

父が母と別々に暮らす事を決断する日まで
私たちは家族で
一緒に気持ちの整理を、つけていくんだろうな。


ふと、実家の母がもう10年以上も一人暮らしであることを思い出した。

  1. 2011/12/19(月) 13:39:28|
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進行

寒くなってから、あまり姿を見なくなった義母と
久しぶりのお茶を飲んだ。

主人と私と
義父母の4人で・・・こたつ。

初めて両親に挨拶したのはこんなお正月で(ん・十年前)
義母の得意なおいなりさんの味付けを
私はついに教えてもらう時を失い
あれからもう何度目のお正月になるんだろう。

TVに盛んに頷きながら
時々部屋を見回して、
「ここは広いね~。」「久しぶりじゃね~。」

何度か同じ事を言った。

TVの内容はもうほとんど分かっていないように思えた。
うなづきながら
うなづきながら
画面から目を離すと

私を見つめ、夫を見つめ、私を見つめる。

「そろそろ帰ろうか。」

義父が促し
二人は手を繋いで部屋に戻っていった。

母のお尻と座布団は濡れていた。

二人の会話が聞こえ、着替えを済ませた母が
二人の玄関から出てきて
ひなたぼっこ(といっても寒いのだが)の椅子に座ったのが見えた。

ベランダに出た夫が、洗濯物を取り入れはじめると
「○○○さん(私)は?どこにおると?」と尋ねる。

「今、(お茶の後を)片付けてる。」と応える夫に
 何度も、私の所在を確かめていたが

ついには「○○さぁん!!」と声をあげて名前を呼んだ。




「はぁ~い。」と洗濯物の間から顔を出す。

「あんた、おったっけ?顔をみせにゃ!(見せなさいよ)さっきから呼びよったつに。
なごー(長く)顔を見らんが・・・どこにおった?」


「今、ね。一緒にお茶飲んだやろ、後片付けをしよったよ。」→事実

「あらそう。久しぶりじゃね。元気だった~。」→こっちが正しい対処法

受け入れて、演じることが
いいのだと頭で判っていても

嫁と姑の間の垣根は
低くても頑丈だな。

「わたしが?」(お茶を?)

「わたしも?」(一緒に?)

「いつ?」

そういって独り言を言いながら、玄関からまた
二人の部屋に戻っていった。

  1. 2011/01/11(火) 11:40:30|
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高齢者の病院探し

同居することになって
一番の心配はかかりつけにする病院のことだった。

義父がペースメーカーの電池入れ替えの時期が迫っているということで
その義父が入院したときに、「母のせわをどうするか」だ。

その頃、まだ母は周りの様子がわかっていたので
父以外の手が差し出されても
それを握ることに、とても躊躇していたし、夫以外の世話にはならないというつもりだった。

循環器(心臓)があり、入院施設があり、
同時に母も入院させてもらえることが父の願いで、
友人が知り合いの看護婦長さんに頼んでくれて、
迫○病院に決めた。

そこは私たちのうちから、車で1時間。
とても近いとは言えなかったが、当時はやっと見つけた病院だった。

あれから2年。

母の症状は進み、徘徊の兆しが始まって
耳の遠い父が寝静まってから出て行こうとするので
どうやら、父も介護に限界を感じたのか
認定を受けることに気持ちは動いた。

いつかはショートスティ(宿泊)させる日が来ることを覚悟して、介護認定を受け、
専門家の意見で「いきなり泊まるのは、本人が一番不安でかわいそうなことなんだ。」と聞いて
デイケアに出して、少し離れるという決心を、父がした。

福祉の世話を受けない、という姿勢は
母(当人)の問題ではなくて
父の問題だった。


それから、デイケア週3回と決めたのを聞き、1回から始めるのだろうと思っていた私たちは驚いた。
父は、とても楽になったようだ。

それからまた、病院のことが持ち上がった。

ショートスティで宿泊できる道ができた以上、
もう80歳になる父の運転で、遠い病院に通うのはどうか。

担当医が曜日ごとに違うという 大きい病院に慣れないない父は
「ただ、聴診器でみて、はい大丈夫といって、薬くれるだけ」という医師に不安をこぼしていた。

同居する前は、地元の専門個人病院で、手術もでき、入院施設もあり
発病から、一回目の電池入れ替えまで、長期間お世話になっていた病院だったが

うちの近くでは循環器の病院はたくさんあるが、入院施設はなく、大きな総合病院へ移す。
そのうえ母も一緒に連れて行くという条件では
受け入れを探すのは本当に難しかった。

しかも母は高血圧の治療と、アルツハイマー(専門外)。

迫○病院の最初からお世話してくれた担当の方に、電話相談し
近くの病院へ、(車で10分)
両親のかかりつけを変える事をお願いし、
紹介状を依頼した。

快く受けてくれた。

行きつけのK病院では、私の診察時(血圧)に
両院のことをお願いしてみた。

あまり良い返事ではない。

「お年よりは、ちょっと様子を見るために・・というような入院が必要なことがあります。
緊急な病気ではないが、ほんとにちょっとした入院。
緊急な、病気であれば当然、系列の病院を探し、紹介ができますが、そうでないとき・・
うちには入院施設がありませんし、ちょっとした入院、でほかを探すのは難しいのです。
自分の入院施設を持つ病院がベストではないでしょうか。」


ほんとうに、そうだなぁ・・・となっとくした。

真剣な眼差しで言われたとき、「断られた・・・感」があったのだけれど
「それでも、といわれれば、うちは構いません。」という言葉に、迷ってしまった。

近くて、きれいで、親切なことで人気のある病院だし
何より予約制で、待ち時間はほとんど無い。
順番がくると電話で、来院時間をしらせてくれるというサービスが受けて
評判も良い。

私の一存ではどうにもできず
父に伺った。

K病院でいい、という。

迫○病院に相談した。
「そういう入院が必要なときは、うちに連絡してください。うちが対処します。」

そういってくれた。
ほんとうに有難かった。


今日は、K病院に初めて二人を連れて行く。

「アレだけ言ったのに・・。」と医師が思うだろうか。

両親の前で、断られることがあれば
二人の気持ちは折れてしまわないだろうか。

あ、母はきっとわからないだろうけれど
また質問攻めで、父を叱るだろうか。



そんなこと考えながら
なんだか気が重い。




  1. 2010/08/09(月) 10:25:12|
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虎の見張り番

TS3B0083その2

同居が決まったときに、リビングにぴったりと隣接するように、増築をした。
床上が高かったので、足の悪い義母のためにとスロープを作って
庭は潰してしまうことになった。

花作りの好きな義父のために、管理は任せるから好きなように変えてもいいよと
言ってはみたが、内心寂しくも感じた。

爺ちゃんにとっても、任されることは負担かもしれない。
うちの周りの雑草に私が気がつかなくなったのは
爺ちゃんが、まめに処理をしてくれるから、で
それだけでもずいぶん有り難いこと、ましてや花を管理させるなんて
介護している80才の爺ちゃんには
とうてい重労働だろう。

季節が変わる毎に、私もごそごそと動き始めて
猫の額ほどのスペースでも・・と木を引き抜き花を植え始めた。

増設したことで、リビングは一番暗い部屋になった。
和室は障子を開けて風をいれようとすると、婆ちゃんが王立ちで、ずっと伺っているので
洗濯物を
そこのところには集中して干すの・・・・笑

婆ちゃんの定位置の椅子は
写真正面にあるけど、ここに座って出入りをみつめていた。


左の小さいスペースに煉瓦を並べ
私の“庭作り大作戦”は始まった。

婆ちゃんが物音で、出てくると私は引っ込む。
婆ちゃんがうちに引っ込むと、私が出てくる。

そうして出来つつある頃に

TS3B0081その2

婆ちゃんが、うちの玄関先に座るようになった。ガーン(花を写すといって、携帯でパチリ)

あるときは長男が新聞配達から戻った早朝も

あるときは次男が登校する朝も・・・

玄関は婆ちゃんが座っているのでドアが開かない。


息子が(旦那)ある晩、「お母さん、もう○時だから、部屋にはいったら?」と言うと

「誰が、そんげ言うたっけ!!」

ある夜、帰宅しようとする娘(孫)と旦那が「まだ座っちょるとね~?

というと

「シーーーーッ」


と指を立てたらしい。

こうやって婆ちゃんの外敵からの見張り番は・・・さらに続くのだろうか。




  1. 2010/05/12(水) 15:43:40|
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